2015年8月24日月曜日

夏目漱石の虞美人草 と倫敦塔のポピー

夏目漱石の小説「虞美人草」に、主人公で京都から東京へ出てきた青年が、かつて世話になって恩義のある井上老人から手紙をもらう場面がある。「拝啓柳暗花明の好時節と相成候処いよいよ御壮健奉賀候(がしたてまつりそうろう)。」ここで使われている柳暗花明は「春の景色が美しい様子」という意味で、昔は時候の挨拶によく使われたようだ。ところがこの青年の心境はのどかな春の気分からは程遠い。恩人の先生の娘を嫁にもらうのが正しい選択と考えつつも、古臭いしがらみに縛られるようで億劫な気がして、板挟みの状態にある。東京という新しい天地で出会ったプライドの強い近代的な女性にも魅かれてしまう。この状況を描いた小説の題名が「四面楚歌」とも関わりのある「虞美人草」となるのは大げさな気もするが、昔の人間関係というのはややこしいものだったのだろうと想像できる。

虞美人草はケシ科の一年草であるヒナゲシの別名だ。麻薬の原料となるケシは越年草で背も高い。英語ではどちらもポピーとなる。漢字で雛罌粟と書く。この読み方としてはヒナゲシもコクリコもある。四面楚歌の状況に追い込まれた覇王項羽は「虞や、虞や、汝を如何せん」と思案にくれる。敗色の濃い戦の前線での話である。武人としては残りの手勢を率いて退路を切り開く仕事に女人を連れて行くわけにもいかないが、虞美人を残していけば敵軍の戦利品となるのは目に見えている。虞美人は味方の足手まといになることも、敵将の虜となることも良しとせず、自死を選ぶ。その墓に咲いた赤い花が虞美人草と呼ばれるようになったそうだ。


夏目漱石は郷里長岡に縁のある人だ。長岡中学出身の松岡譲先輩は漱石門下の人で、その夫人は漱石先生の長女である。ヒナゲシを詠った歌人と言えば、与謝野晶子が知られている。シベリア鉄道でウラジオストクから陸路で欧州へ向かったこの情熱の歌人は「君も雛罌粟、われも雛罌粟」と歌った。長岡に縁の深い堀口大學は歌人吉井勇に心酔し、与謝野鉄幹・晶子夫妻の新詩社に出入りしていた。九萬一氏と鉄幹氏は友人だったことが大学先輩の回想録に出てくる。この点では与謝野晶子も長岡と縁がある。「虞美人草」の漱石といい、「君も雛罌粟」の与謝野晶子といい、赤いヒナゲシの花をめぐる作品を書いたどちらもが長岡に縁があるのも面白い。与謝野晶子が、雛罌粟の歌を詠んだ時に、愛とプライドのためなら死も怖れない虞美人を意識していたのだろうか?


昭和の時代にもヒナゲシはひたむきな愛を象徴するものとして歌われている。山上路夫が作詞し、森田公一が作曲した「ひなげしの花」をアグネス・チャンが歌っていた。
「愛の想いは胸にあふれそうよ」と遠い街に行った人をしのぶ内容だ。時代は変わっても、人の想いは変わらない。

ユーラシア大陸の反対側に位置する欧州でも、この花は失われた人々の赤い血の連想につながっている。ロンドンでも毎年の戦没者追悼の日には赤いヒナゲシの胸飾りが街にあふれる。第一次世界大戦が1914年に始まり、戦争は4年に及んだ1918年の1111日に連合国側とドイツの休戦協定が発効する。事務所でもデパートでもこの日の11時には、戦没者をしのんで一分間の黙とうをささげるのが習わしだ。2014 年のこの日には開戦から100年を記念して、ロンドン塔の空堀の芝生がセラミックの赤い花で埋め尽くされた。88万人を越えた英国の戦没者の数だけ用意されたものだ。このセラミック花は希望者に販売され、売上げは戦没者・傷痍軍人のためのチャリティに贈られたそうだ。

漱石先生が英国に留学したのは1900年から1902年までの2年間だった。小説「倫敦塔」が発表されたのは1905年で、第一次大戦が始まる前のことになる。小説に描いたロンドン塔の空堀がヒナゲシ(虞美人草)で埋め尽くされるとは、漱石先生も想像しなかっただろう。去年の11月の始めに高校同級生のA君がロンドンに来ていたので一緒に見学する機会があった。この光景は強く印象に残った。




2015年8月13日木曜日

村上春樹の初期作品2作の翻訳がロンドンで話題になっている

今月に複数の出版社から刊行された村上春樹の初期作品2作の翻訳が英紙ガ―ディアンなどで取り上げられている他、ロンドンの大型書店ウォーターストーンで派手な販売プロモーションが展開されている。日本では「風の歌を聴け」、「1973年のピンボール」、「羊をめぐる冒険」は初期3部作とされている、ガーディアン紙によると「羊をめぐる冒険」を村上春樹の処女作だと思っているファンが英語圏には多いそうだ。村上春樹自身が最初の2作を海外での英訳出版することに同意しなかったそうなので、英訳で読む機会がなかった人たちにとっては当然だ。

1979年の「風の歌を聴け」も1980年の「1973年のピンボール」も芥川賞候補になったが、その選考委員会で賛否が分かれ、批判する評者たちからは手厳しい評価がなされた。ウィキペディアなどでコメントの概要を知ることができる。1982年に発表された「羊をめぐる冒険」は最初の2作と様々な共通点があるので「三部作」とされているが、前2作が短い作品であるのに比べるとかなり書き込んだ長編小説だ。またその後の長編でも繰り返されている章ごとに2つの世界が交互に登場する構成もこの第三作で明確になっている。おそらく初期2作への批判に答える形で書き直したものが「羊をめぐる冒険」ということになるのだろう。村上春樹ファンにとっては初期の2作は記念碑的作品で習作などではない。2015年になってこの2作が世界のムラカミファンの注目を集めているというニュースは嬉しい。


「アメリカ現代文学の雰囲気がある」と評され、かなり簡潔な文体で書かれた「風の歌を聴け」を他言語に置き換えて、なおかつオリジナルの質感を保つのはかなり勇気のいる作業のはずだ。そういう困難を承知で英国のムラカミ・ファンに初期作品を読んでみたいと思わせるきっかけになったのは、今年5月の「海辺のカフカ」公演だったのではないかという気がする。「海辺のカフカ」はとても長い作品だ。作中人物の台詞の形をとりながら源氏物語やら、雨月物語やらについての論考が混じるかなり難解な小説でもある。その作品が蜷川版の舞台として上演された時に、原作の雰囲気がとても見事に表現されていて感動した。違う表現形態をとってもオリジナルの質感や空気感がきちんと伝わると言うことの例になるかもしれない。この舞台に魅了された人たちが村上春樹の初期作品を読みたいと思うのはとても自然なことだと思う。蜷川版「海辺のカフカ」公演については別にブログを書いている。

2015年8月12日水曜日

2015年のピンボール・イン・ロンドン 「風の歌を聴け」と「1973年のピンボール」

地下鉄ピカデリーサーカス駅の近くにあるウォーターストーン書店がすごいことになっていた。入ったばかりのメイン・ホールが村上春樹の「風の歌を聴け」と「1973年のピンボール」が背中合わせ(back-to-back) になっている英訳本だらけでいっぱいだ。おまけに特製のムラカミ・ピンボール・マシンが置いてある。記念に触らせてもらおうと思ったが、機械の不調でプレーできなかった。この特別プロモーションが始まってもう一週間くらいになるらしいから、人気がありすぎて機械が壊れたようだ。ロンドンの大型書店では老舗のフォイルズが有名だが、ウォーターストーンは大規模チェーンであちこちにある。このチェーン店のピカデリーサーカス店は、その昔シンプソンズという百貨店だった建物を改装したもので、おそらくロンドン最大の書店だ。著者のサイン会など様々な催しも開かれる場所だ。

村上春樹氏の「海外でもっとも売れている日本の小説家」という地位が確立してから久しい。こちらの世界とあちらの世界が交互に登場する小説の構造と、時折りの過激な描写と、喪われた人に向けて静かに語りかけるテーマは翻訳で読んでもわかり易そうだという気がする。「1973年のピンボール」の方は英語訳を観た記憶があるので米国では紹介済みかも知れない。この作家の、出発期の重要な作品がこれまで英国で未紹介だったのは意外な感じがする。他のほとんどの作品は英訳で紹介済みだ。ウォーターストーン書店のメイン・ホールで英国人らしい女性二人が「あらっ!ムラカミの新しい本だわ」 と手にとっていた。今年の5月に蜷川幸雄演出の「海辺のカフカ」がロンドンで上演された時に、舞台を見ている。客席は日本人よりも現地の人でいっぱいで、上演が終わった時も満場の拍手だった。この舞台の上演で90年代からロンドン公演を続けている「世界のニナガワ」はもちろんだが、「世界のムラカミハルキ」が英国のファンに再認識されたことは間違いないと思う。ヒロイン「佐伯さん」を演じた宮沢りえの透明感には鬼気迫るものがあった。


初期3部作の始めの2作は村上春樹ファンにとっては重要な作品だ。1979年に村上春樹が「風の歌を聴け」でデビューした年に、わたしは学校を終えて社会人になった。この人の本はそれから読み続けているので長い付き合いだ。好きな作品をわたしなりに3つ選ぶとしたら「風の歌を聴け」、「羊をめぐる冒険」、「国境の南、太陽の西」ということになる。50歳を過ぎた頃から、もう一度村上春樹に興味を持つようになった。仕事で訪ねた様々な国の書店でこの人の本に再会したからだ。ロンドンでも、サンクトペテルブルクでも、スコピエでも、ビシュケクでも村上春樹の本は書店に積まれていた。「ハルキ・ムラカミが好きだ」という知り合いも多い。この根強い人気の理由は何だろうかと考えるようになった。

「羊をめぐる冒険」などいくつかの長編を例にとれば、村上春樹の本には普遍的なテーマと明確な構成がある。あちらとこちらの世界の間で迷いがちな主人公がいて、物語は二つの世界でパラレルに進行する。小説は短い章立てで二つの世界が順番に切り替わる。別の世界への「入り口」として古井戸やら、深い森やら、高速道路の非常階段やらが登場する。主人公は読者を巻き込んで「自分は誰なのか」「自分はどちらに属しているのか」などの疑問の解明するために物を探したり、人を探したりする。想いを残したままこの世を突然去ることになった人々は、あの世でもこの世でもない境界に「不完全な死者」として浮遊している。残された人が突然消え去った人に向ける強い想いが、浮遊する者たちをこちら側の世界に誘い出す。失われた者と残された者が再会できると、ようやく葬送の儀礼が完結するので、思い残すことなくあの世へ旅立つことができる。これらのパターンは多くの長編作品に共通している。この人の本は世界中のあちこちで読まれている。

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