2014年10月4日土曜日

ヘルマン・ヘッセ「デミアン」

ヘルマン・ヘッセの「デミアン」(高橋健二訳)はこれまで何度か繰り返し読んでいる。様々な個人的な記憶が実は共有されたものかも知れず、空間を越え、時間も飛び越えて大きくつながっている可能性、探し求めること、夢を見続けることについての考察に満ちた本だ。この作家の「郷愁」とならんで強く印象に残っている。

人間として存在している自分が「鳥でも魚でもありえたのかもしれない」ことを、進化の歴史の中でとらえる見方が紹介されている。ある人に憧れ、また別の人にも心を奪われる自分の感受性についても解釈が提示されている。さまざまに違う形をとって自分の目の前に現れるものは、ある共通したものでつながっているのだろう。自分自身の内部にある「美しさの記憶」が様々な形をとって「現われる」だけのことなのだ。そうでなければ、自分の外側にあるものが、これほどまでに心をかき立てるはずがない。自分が追い求めるものを探すことは、自分の内側を深く、静かに探る旅にならざるを得ない。この本はそのようにして流離いながら生きた作家が、自分の生きてきた途について解釈してみせた本なのだと思う。

この本のはしがきに以下のような文章がある。

  • 「わたしはさがし求める者であった。いまでもそうである。しかし私はもはや星の上や書物の中をさがし求めはしない。わたしの血が体内を流れつつ語っているところの教えを、私は聞きはじめる。。。それは不合理と混乱、狂気と夢の味がする」
  • 「すべての人間の生活は、自己自身への道であり、一つの道の試みであり、一つのささやかな道の暗示である。どんな人もかつて完全に彼自身ではなかった。しかし、めいめい自分自身になろうとつとめている。ある人はもうろうと、ある人はより明るく。めいめい力に応じて。」
  • 「だれでも昔、自分の誕生ののこりかすを、原始状態の粘液と卵のからを最後まで背負っている」
  • 「われわれはたがいに理解することはできる。しかし、めいめいは自分自身しか解き明かすことができない。」

「カインのしるし」、「ベアトリーチェの祭壇」、「鳥は卵の中からぬけ出ようと戦う。卵は世界だ。生まれようと欲するものは、一つの世界を破壊しなければならない」などの神秘的で魅力に満ちた比喩が、あちこちにちりばめられている。何度読み返しても飽きることがない。

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