仕事で住んだ国々の書店を訪ねてどんな日本の本があるか探してみるのは楽しかった。海外の書店に置いてある本としては村上春樹の人気は圧倒的だ。安部公房の「砂の女」も頑張っている。ロンドンにもあるし、サンクトペテルブルグにも置いてあった。スコピエでもビシュケクでも見た。村上春樹の「羊をめぐる冒険」には普遍的なテーマと明確な構成がある。あちらの世界とこちらの世界で何かしら逡巡する主人公がいる。短い章立てで二つの世界が順番に切り替わる。そういう二つの世界をつなぐものとして古井戸などの深い「穴」が登場する。主人公は読者と一体となって「自分は誰なのか」、「自分はどこに属しているのか」という普遍的な疑問の解明に向かう形で物語が進行する。
この構造は「砂の女」でも同じだ。突然砂の穴に落ちた主人公はひたすら脱出しようともがく。穴の中で囚人のように砂を掻き出す自分がいる世界と、ついこの間まで自分が所属していた「文明世界」の追想がパラレルに進行する。やがてその砂の世界で妙な落ち着きを取り戻し始めた時に、自分が所属していたはずの世界とは何だったのかという懐疑を抱くようになる。映画の「砂の女」でヒロインを演じた若い日の岸田今日子がとても魅力的だ。岡田英次演じる主人公がたまたま砂丘の穴に落ち込んだことで、それまで気がつかなかった形の自由を手にする。
「自由」には二つの英訳がある。アメリカ独立の頃の「自由を与えよ、さもなくば死を」という有名な文句に出てくるlibertyは積極的に何かをする自由を示す。抑圧や強制や恐怖からの自由を示すのはfreedomだ。管理社会の中で何かしらの息苦しさは感じるが、あくまでそれを選択した主体は自分だと思いながら生きている。安全快適な暮らしと息苦しさとのトレード・オフの中でその加減を選ぶのは自分だ。漱石先生も草枕の中で「とかくこの世は窮屈だ」と歎じた。Freedomを完全に失うという極端な状況に直面することは少ないが、バランスが大きく崩れていることに気が付かないことは多い。この「バランス」への懐疑と生の実感を求めることは、国境を越えてますます理解されやすいテーマになっている。そういえばわたしの職場でも「ワーク・ライフ・バランス」という言葉は大流行だった。
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