2014年10月14日火曜日

芥川龍之介「袈裟と盛遠」にサンクトペテルブルクで出会った

芥川龍之介「袈裟と盛遠」の入っているオーディオブックMP3を2008年夏にサンクトペテルブルクで見つけた。古典に題材を求めて自分の解釈で物語を作ってみせた芥川らしい短い心理劇だ。それから日本語の原作を探した。このMP3に入っていたのは「杜子春」「南京の基督」「袈裟と盛遠」だった。最初の2作は子供の頃に読んでいるが、「袈裟と盛遠」は知らなかった。新潮文庫「羅生門・鼻」の中に入っている。14頁ほどの短い物語で前半と後半に分かれている。前半が主人公の独白で、後半がヒロインの独白だ。「源平盛衰記」に登場する袈裟御前という高貴な身分のヒロインに横恋慕した若侍の盛遠が袈裟御前の夫の殺害を企てる。あわやのところでヒロインが自分の身を投げ出して犠牲となり夫を助けたという貞女物語を芥川が解釈し直している。

殺人者の盛遠の立場からと、殺された袈裟の立場からの心理を芥川が解釈する。男と女の関係がどう変容するかについての考察だ。若武者盛遠は袈裟御前の雅やかな姿に恋い焦がれるがやがて思いを遂げてしまうと、どこかで袈裟に恋している自分のことも、袈裟自身のことも醒めた目で見るようになる。美しい女性である袈裟にとって若者が自分に恋しているのはいつものことだ。ゆとりをもって事態を眺めていたはずだったが、やがて盛遠がどこか醒めた目をしていることに気がつく。袈裟としては命をかけてでも、美しい自分のプライドを守る方法について考えをめぐらせ始める。そうして事件が起きる。貞女袈裟御前が身を挺して守ろうとしたのは実は夫ではなかったのではないかというのが芥川流の解釈だ。やがて老いて行く現実の中にではなく、若者の記憶の中で美神として生き続けることを袈裟は選んだのかも知れない。


「袈裟と盛遠」の印象は黒沢監督の「羅生門」の原作となった芥川の「藪の中」に似ている。ミステリー劇ではない。美しい女に憧れる男と、憧れの対象となる女。その関係がどう変容するかについての考察だ。この作品を選んでロシアの読者に紹介しようとした人のセンスも鋭い。この本がMP3やペーパーバックでペテルブルグの店頭にあるということはロシア人の読者が今でも芥川を読んでいるということだ。安倍公房「砂の女」も、井上靖「敦煌」も、村上龍「限りなく透明に近いブルー」も翻訳されて異国の書店に置いてあった。


この若武者盛遠は事件当時19歳だったとされている。罪を反省した盛遠は死罪を免れると、出家しやがて文覚上人となり歴史に名を残している。神護寺、東寺、東大寺、江の島弁財天などの修復にも貢献したそうだ。ウィキペディアによると出家以前の盛遠のことが書かれているのは「源平盛衰記」で、その後伊豆に流され、その地で源頼朝と出会い平家の追討を勧めたそうだ。面白い人物だ。手塚治虫もこの人に興味を持ったようで「火の鳥 乱世編」の中に登場させている。


0 件のコメント:

コメントを投稿