2014年10月6日月曜日

ジョセフ・クーデルカ プラハの春のスクープとその後の流浪

ジョセフ・クーデルカという人の写真集が手元にある。2013年の暮れに帰国した時に竹橋にある東京国立近代美術館の回顧展を見に行った時に買ったものだ。写真家のインタビュー記事がついていて面白い。チェコ生まれのこの人はジプシーの人々をテーマにして、とてもインパクトの強い写真を撮っている。1960年代に撮られた連作はスロヴァキアとルーマニアのジプシー居留地で撮影されている。この人は自作についてインタビューで語る。「1963年に初めて輸入された広角レンズをたまたま手に入れることができなかったら、ジプシーの写真をあんな風に撮ることはできなかっただろう。それを使うと、ジプシーが暮らす狭い空間でも写真が撮れたし、大事なものとそうでないものと切り離すことや、暗い条件でも私がいつも狙っていた被写界深度の深い写真を撮ることもできた。」

1968年のプラハの春の現場にいたこの人は衝撃的なスクープ写真を撮る。プラハ侵攻の一周年に匿名で西側各国のメディアに掲載された。チェコスロバキアでは1990年まで発表されていない。身の危険を感じたこの人は1970年にイギリスに亡命する。その後、撮り続けたExilesシリーズを紹介した文章がある。「ノスタルジアや内省、疎外感に充ちており、切り離され、追放された立場にある自らの感情を吐露している」。1989年のビロード革命で旧体制が崩壊するまで、この人の流浪は続いた。この国は1993年の始めに2つの国に分かれた。「ビロード離婚」と呼ばれた。

この写真集では「ジプシー」という表現が使われている。岩波文庫で「カルメン」を読んだ時に英語のジプシーは差別的表現で「ロマ」という表現が適切であるという後書きを読んだ。露語では「ツィガン」、独語には「チゴイネル・ワイゼン」がある。仏では「ジタン」という煙草があった。この人々がユーラシア各地に分布することを示すものだ。欧州だけではない。中央アジアでもバルカンでもロシアでもこの人たちは生きている。


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