2014年10月11日土曜日

アドリア海の街で開高健「夏の闇」を見つけた

タシケントで働いていた頃の夏休みにアドリア海に面するイタリアの港街アンコーナを訪ねたことがある。ローマから15人乗りの小型飛行機で一時間くらいだった。半島を長靴に例えるとふくらはぎの上の部分の辺りの感じになる。東に向かう海の向こうはバルカン半東の国クロアチアにはフェリーで渡ることができる。夫婦で泊めてもらった友だちのアパートは趣味の良いアジア風の家具であふれていた。この人と出会ったの中央アジアの某国だった。若い頃からアジア各地での勤務の多い仕事をして元気な人だ。

港街の浜辺で本を読んだり、山のコースでゴルフをしながら一週間を過ごした。泊めてもらった部屋は書斎兼客間で、壁が床から天井まで本で埋まっていた。ほとんどが、イタリア語と英語の本だったが、開高健の「夏の闇」の文庫本が逆さまに置いてあった。漢字は読めないだろうから無理もない。それからしばらくしてこの本についての彼女の思い出を聞いた。ミャンマーで働いていた頃に日本の若者と出会った。やがて転勤でお互いに出会った土地を離れた。お互いに仕事があったし、素敵な彼女には他にも友だちがいて、いろいろあったそうだ。結局、離れ離れになってしまい十数年が過ぎたある日のことだそうだ。突然、彼から「会いたい」と電話がきた。彼女はすでに結婚していたが、死を目前にした彼に会うために広島の病院を訪ねることにした。「夏の闇」がその人の形見となった。

「夏の闇」はいくつかの評伝によるとヒロインのモデルがいる。その人が事故で亡くなられた後で鎮魂のために書かれた作品らしい。開高夫人にとっては衝撃的な作品だったろう。それでも書かずにはいられなかった本ということになる。この本以降の開高健は食のエッセイや釣りの紀行文は量産しているが、小説については寡作気味となる。そういう本をアンコーナに住む人の書棚で見つけたので不思議な気持ちになった。開高健は「漂えど沈まず」という言葉を愛して、その後も創作を続ける。死の数年前から「花終わる闇」「珠玉」など「夏の闇」の世界を再結晶させたような作品を書いて58歳で病に倒れている。合掌。



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