茅ヶ崎の開高健記念館に行ってみた。東海道線の沿線に住んでいるのでふっと行きたくなった。「ベトナム戦記点」展をやっていた。この写真展が充実していたので足を運んだ甲斐があった。
もう一つの収穫は、この記念館で北康利著「最強のふたり 佐治敬三と開高健」を手にしたことだった。ほとんどの書評では、この本はビジネス書として扱われている。第一章と第二章はサントリー会長として1999年に亡くなった佐治敬三氏についてであり、他の章では佐治氏と小説家の交流が描かれている。小説家開高健が1989年に亡くなってから幾冊もの優れた評伝が書かれている。わたしにとっては谷沢永一著「回想 開高健」、菊谷匡祐著「開高健のいる風景」の2冊の印象がとりわけ深い。今さら目新しい開高健伝が書かれて、新しく世の中に出てくるような情報が出てくるというのは開高ファンとしては予想していなかった。
ところがこの北康利による新しい評伝にはこれまで読んだことのない話がいくつも登場する。第四章の「夏の闇」のヒロインのモデルになったとされる女性についての記述が凄い。これまでも菊谷氏による「開高健のいる風景」や編集者だった細川布久子氏の「わたしの開高健」などを読むとおぼろげに見えていた話が、この本の中で克明に記述されている。
第五章で開高健の学生時代からの盟友ともいうべき評論家谷沢永一と、開高夫人である牧羊子の関係についての記述も鋭い。この二人の中が険悪であることは谷沢氏の「回想 開高健」を読めば明らかだが、それは当事者の一方による言い分でもあり、また谷沢永一が開高健を盟友として愛する気持ちのあまり筆が走ったとも想像されるので、どこまでが客観的な話なのかと感じる部分もあった。この点について北康利の分析は冷静で説得力がある。
もう一つ第五章に出てくる話も興味深い。開高健の娘さんの学生時代にバイオリンを教えて、小説家の死後一年後にみずからの命を絶った女性についての記述は初めて読んだ。開高健の最高傑作となった「闇三部作」に出てくる女性像が必ずしも「夏の闇」のモデルとなった人だけではなかったという説を裏付けることになる。
この本のあとがきで著者は「最初は「佐治敬三伝」を書くつもりだった。」と書いている。そのための取材の中で開高健についての情報を入手してしまったので書かざるを得なかったのだろう。開高ファンにとっては必読の本となった。ありがたい。
もう一つの収穫は、この記念館で北康利著「最強のふたり 佐治敬三と開高健」を手にしたことだった。ほとんどの書評では、この本はビジネス書として扱われている。第一章と第二章はサントリー会長として1999年に亡くなった佐治敬三氏についてであり、他の章では佐治氏と小説家の交流が描かれている。小説家開高健が1989年に亡くなってから幾冊もの優れた評伝が書かれている。わたしにとっては谷沢永一著「回想 開高健」、菊谷匡祐著「開高健のいる風景」の2冊の印象がとりわけ深い。今さら目新しい開高健伝が書かれて、新しく世の中に出てくるような情報が出てくるというのは開高ファンとしては予想していなかった。
ところがこの北康利による新しい評伝にはこれまで読んだことのない話がいくつも登場する。第四章の「夏の闇」のヒロインのモデルになったとされる女性についての記述が凄い。これまでも菊谷氏による「開高健のいる風景」や編集者だった細川布久子氏の「わたしの開高健」などを読むとおぼろげに見えていた話が、この本の中で克明に記述されている。
第五章で開高健の学生時代からの盟友ともいうべき評論家谷沢永一と、開高夫人である牧羊子の関係についての記述も鋭い。この二人の中が険悪であることは谷沢氏の「回想 開高健」を読めば明らかだが、それは当事者の一方による言い分でもあり、また谷沢永一が開高健を盟友として愛する気持ちのあまり筆が走ったとも想像されるので、どこまでが客観的な話なのかと感じる部分もあった。この点について北康利の分析は冷静で説得力がある。
もう一つ第五章に出てくる話も興味深い。開高健の娘さんの学生時代にバイオリンを教えて、小説家の死後一年後にみずからの命を絶った女性についての記述は初めて読んだ。開高健の最高傑作となった「闇三部作」に出てくる女性像が必ずしも「夏の闇」のモデルとなった人だけではなかったという説を裏付けることになる。
この本のあとがきで著者は「最初は「佐治敬三伝」を書くつもりだった。」と書いている。そのための取材の中で開高健についての情報を入手してしまったので書かざるを得なかったのだろう。開高ファンにとっては必読の本となった。ありがたい。