2025年6月26日木曜日

藤原新也「メメント・ヴィータ」

2022年に世田谷美術館で藤原新也氏の回顧展を拝見し、ご本人から写真集にサインしてもらう機会があった。この人の新刊「メメント ヴィータ」(2025年5月、双葉社)という本が面白い。世田谷美術館で展示された作品群について自作解説的な文章があって、展示に魅了された人たちにとっては必読だろう。旅をして考えたことを文章にした人としては開高健、沢木耕太郎(最近では高野秀行)の各氏を読んできたけれど、時代的にはこの人はその中間に位置する。

この新刊の新聞広告には<「メメント・モリ(死を想え)」から40年 藤原新也が放つ書下ろし最新作! 現代の日本と世界を語る令和版「東京漂流」が誕生!>とある。私が「メメント・モリ」を読んだのは世田谷美術館の回顧展の後だ。2018年の暮れに<1983年の刊行以来、30年以上にわたり多くの読者に読み継がれてきた超ロングセラー、装い新たに復刊>され、2022年に回顧展の時期に合わせて第二刷が発行された。こちらは写真が多い本で、それぞれの写真に絶妙な一文がついている。「メメント・ヴィタ(生を想え)の方は文章が主体だが、そのインパクトの強さは40年前の名著から変わっていない。

本の中身は読んでもらうしかないけれど、次のようなエピソードが満載だ。この人が若い人たちに話をする機会があった時に「いまどきは世界中から外国人が日本を訪れている。異国の人びととの触れ合いのためにわざわざ旅をする必要はないのでは?」という質問を受けたそうだ。この点について藤原さんの答えが明快だ。「異国を旅して直面するのは自分とその土地の人々の間に垣根があること。そこには差別があり区別がある。差別される中で自分のことを知るようになる」。

自分についてふり返ると旅というよりも定住がほとんどなので旅について書いている人たちのような極限状態の経験は限られている。それでも「差別と区別」というテーマはつきまとう。大事にされたり、親切にされたことも多いからプラスマイナス両面で考えるべきだけれど、そこから自分について考えることになるのは変わらない。