小説家イワン・ブーニンは詩人として活動を始め、チェーホフと親しくし、ロシア革命後はフランスに亡命して1953年にパリで客死した。2014年3月に11年ぶりに群像社のイワン・ブーニン作品集の続刊が出た。作品集の第1巻「村・スホドール」が刊行され、「アントーノフカの林檎」が入っているのがうれしい。2003年に3巻と5巻が出たきり、そのままになっていたものだ。この作品集の完結を待ち望み、群像社の他の本を買っては、読者カードを送って、この作品集の完結予定を問い合わせてきたのでうれしかった。残り2巻の刊行を待ち望んでいる。また10年待つのだろうか?
わたしのブーニン体験はマケドニアで始まっている。中央アジアのタシケントからバルカン半島のスコピエに引っ越して、習いたてのロシア語を忘れたくなくて先生を探した。ペテルブルグ出身の先生を見つけたので、週末にお宅でお茶を飲みながらのレッスンを受けた。先生はすぐにこの生徒が教科書を使った授業に関心がないことを理解したらしい。ある日、先生が数枚のプリントを用意してくれた。ブーニンの「カフカス」だった。とても初歩の露語学習者に歯が立つような文章ではない。一語一語確認しながらの奇妙な授業がしばらく続いた。最初は無茶かなと思ったが、不思議な緊迫感と色彩のある文章がとても好きになった。この逐語訳体験は詩人出身のこの作家を理解するのに役に立ったと思う。お茶を飲みながらロシアの歌曲であるロマンスの話をするのが好きな先生が、何故その掌編を選んでくれたのかにも興味があった。
マケドニアからキルギスに転勤した後の2008年の夏休みを語学研修のためにペテルブルグで過ごした。本屋めぐりをした時にブーニンのMP3のオーディオ本を探した。ビシュケクに戻ると「暗い並木道」所収作品の中から会話の多いものを数編選び、和訳本と対比して意味を理解しながら、朗読を聴いた。懐かしい思い出だ。「暗い並木道」は鬼気迫るほどの結晶度を誇る短編集で、さすがは欧米の読者を魅了してノーベル賞をもらった作家の作品とうならせるものがある。わたしが好きなのは群像社の作品集第3巻に収録されている「ナタリー」、「パリで」、「暗い並木道」だ。「ルーシャ」も良い。若者が主人公だったり、若い娘が主人公だったり、初老の作家が主人公だったり、年配の婦人が主人公であったり話はいろいろだ。傷ついたり、傷つけられたりといった短編と中編が延々と繰り返される。宝石のような透明感がこの作品集の魅力だ。
「暗い並木道」のテーマは愛と死に集中している。旧ソ連圏では教科書にも採用された。中央アジアのビシュケクで働いていた頃に、ある食卓でブーニンの作品が好きだと言う話をしたことがある。相手はわたしより少し若い40代の人だった。「旧ソ連の時代は検閲が厳しくてね。ブーニンの小説は色恋の描写が楽しみだったよ」というコメントが帰ってきた。なるほどそういう読み方もありそうだ。米原万里さんが「打ちのめされるようなすごい本」(文春文庫)の中で「暗い並木道」(1998年1月、原卓也訳)のことを「急いで読むのがもったいないような玉露のような文章だ」と激賞している。米原さんはブーニンの作品に二度出会ったそうだ。最初は若い頃に原文で読んで「男の身勝手さに腹を立て恋に臆病になった」そうだ。2度目に原卓也訳を読んで「かけがえのない一瞬一瞬への懺悔録と感じた」とある。主人公の男のロマンチックな感情の対象となる女性像が限られていて「感情移入できないので鬱屈がたまる」とも書いている。
ブーニン作品集の第5巻に「チェーホフのこと」という評伝がある。中部ロシアのヴォローネジに生まれたブーニンは20代で新進の詩人として注目されるようになった。その後ペテルブルグ、モスクワに移り住んで、先輩作家たちから学ぼうとする。すでにその頃は高名な作家だったチェーホフが若いブーニンの才能を評価し、二人は仲が良かったそうだ。パリに亡命していたブーニンがノーベル賞を受賞したのは81年前のことで、ロシア人の小説家で初の快挙だった。ロシアの新聞は「ノーベル賞が革命の敵に授与されたのは遺憾である」と報じた。やがてスターリンの死により雪解けの時代が始まると、ブーニンの古い時代をしのぶ抒情的な作品はロシアでの出版が許され、人気作家となった。それでもロシア革命を直截に批判した「呪われた日々」などはペレストロイカの頃まで解禁されなかったそうだ。
0 件のコメント:
コメントを投稿