2016年7月17日日曜日

原田マハ 「楽園のカンヴァス」

原田マハという人の小説がフェースブック友だちの間で話題になっていたので「キネマの神様」、「楽園のカンヴァス」、「本日は、お日柄もよく」と3冊読んでみた。どれも面白い。「キネマの神様」については別にノートを書いた。

「楽園のカンヴァス」も圧倒的に面白い。この小説の主人公は大原美術館に勤めている監視員の女性という設定になっている。この美術館の館長として一年前に就任した「国内屈指の西洋美術史家・宝尾義英」という人物が登場する。実際に大原美術館の館長で、美術評論の大御所である高階秀爾氏が新潮文庫版の解説を書いている。小説のあらすじはアンリ・ルソーの作品の真贋をめぐる駆け引きと、ルソーとピカソの関係をめぐってのミステリー仕立てになっている。大規模なルソー展を日本で開催できるかどうかがきっかけとなり、過去と現在が交錯する。

1975年のフェルディナンド・ホドラー展のことを思い出しながらこの小説を読んでいた。2014年の暮れにも40年ぶりのホドラー展が開かれていた。世紀末の象徴主義の画家として、ウィーンのクリムトと並び称されるスイスの人だ。なかなか外の展覧会への貸し出しがないのは大きな絵が多くて搬送が大変なこともあるが、ドキッとする題材もあって扱いに困ることもあるからだろうと思っている。チューリヒに行く機会があった時にこの人の絵に再会した。自分の好きな画家、好きな絵についてのこだわりのある人にとっては、この原田マハの小説はとても面白い。
 
 

 

チェーホフの作品の思い出

7月15日は1904年に44歳で亡くなったロシアの小説家・劇作家アントン・チェーホフの命日だった。百年以上経った今でも、この人の戯曲が世界各地で上演され、小説が読まれている。チェーホフはロシアの南西部でウクライナに近いタガンログに生まれたが、父さんの家業が失敗して借金に追われるようになり、この街を離れたようだ。モスクワの医学生だった時代から、家族を支えるために新聞などに原稿料目当ての短い文章を書き始める。「アントシャ・チェホンテ」のペンネームでユーモアと才気の光る短編を書きまくる。この頃の短い文章は面白さはあっても、深みのある作品とは言い難い。やがて医師となり、さまざまな人々の生活を観察し、30代になり、40代になってこの人の書いたものがどんどん深みを増していった。世界中で上演される4大戯曲も良いが、わたしが好きなのは「犬を連れた奥さん」、「イオーヌィチ」など晩年の短い小説だ。

学生時代から太宰治とか伊藤整などの本でチェーホフの名前は知っていたが、本を読んだことがなかった。仕事でビシュケクに住むようになって、この作家がロシア語圏のみならず、ロンドンの書店でも人気があることに気がついた。乗換えのためのモスクワ空港で「犬を連れた奥さん」のCD本を買ったのがきっかけで、日本から文庫本を取り寄せた。それから逐語で訳を対照しながら、原文を追った。このやり方は熟読に役立つが短い作品にしか使えない。
4章構成のこの中編はとても面白い。主人公のグーロフ君は、これまで女性遍歴も重ねてきた経験から「女性と言うものは実際の彼を理解することができずに、勝手に作り上げた自分のイメージを追いかけるだけの阿呆な連中だ」とバカにしている。海千山千のはずの彼が運命の人に巡り合う。かつての恋愛沙汰を振り返りながら自問自答を繰り返す場面での独白が鋭い。冷徹な人生観、中年男の倦怠、人生をどうしきり直すのかなどが率直に論じてあって味がある。

それから熱が入ってきて2003年と2008年の夏をサンクト・ペテルブルグで過ごした。2度目の短期滞在の時にはCDからMP3の時代に移りつつあった。この時「イオーヌィチ」を買ったのはオーディオ本のカバーがとても印象的だったからだ。医師だったチェーホフ自身を思わせる青年医師イオーヌィチが若い娘に恋をする。ノートに書かれた娘の返事は「今夜会いたい」だった。心ときめかせたイオーヌィチは指定された墓地に向かう。とても印象的な作品だ。

チェーホフは1890年、30歳の時に「サハリン島」という紀行を書いた。その後大きく作風を変えた転機と言われている。「気まぐれ女」(1892年)、「かもめ」(1895年)、「恋について」、「イオニッチ」(1898年)、「犬を連れた奥さん」(1899年)などの佳作を残している。4大戯曲と言われる「桜の園」、「かもめ」、「三姉妹」、「ワーニャ叔父さん」も面白い。この人が晩年になってたくさんの戯曲を書いたのは、小説の文名が上がってからも、出版社との前借契約に縛られてさほどの収入にならなかったので、仕方なく戯曲を書いてからだという話が面白い。この人は作家としてのキャリアの始まりが金に困っていたからで、晩年になっていくつもの名作戯曲を書いたのも同じ理由だということになる。何が幸いするかはわからない。2012年の夏にタガンログを訪れた時に撮影した写真がある。