2016年9月22日木曜日

吉村萬壱「臣女」

この本の著者が2003年に芥川賞を取った「ハリガネムシ」も凄い本だった。それ以来この人の作品にめぐりあっていなかったが、先日書店で9月新刊の文庫本を見つけた。不思議な題名で意味がわからない。徳間文庫の帯で小池真理子氏がこの本を激賞している。読んでみたくなった。第22回の島清恋愛文学賞の受賞作だそうだ。

たった一作を読んで吉村萬壱という小説家のことが気になっていたのは、この人のインタビュー記事を読んだことも影響している。ウェブで検索して出てきたのをたまたま見つけた記事だった。わたしがこだわりをもって読みこんでいる車谷長吉氏の「赤目四十八瀧心中未遂」を好きな本として挙げてあった。マイペースで書きたいことを書いている偏屈な感じと、作品にみなぎる緊張感が共通していて納得した。それ以来、もっと読みたいと思う気持ちと、「ハリガネムシ」が凄まじい読後感だったのでためらいの気持ちと両方だった。

その「ハリガネムシ」のイメージと恋愛小説の名手である小池真理子氏のイメージとさらには「恋愛文学賞」のイメージが結びつかないので、推薦の理由が知りたくて読んでみることにした。読了した。凄まじい本という点では「ハリガネムシ」以上だ。文庫本の後ろについている小池氏の解説は映画化もされた島尾敏雄「死の棘」との対比から始まる。こちらも有名な作品だがやたら厚いのと、話が暗くて気が滅入ったので途中で投げ出している。

「臣女」も途中で投げ出しそうになった。汚かったり、気が滅入るような描写がこれでもかと続く。変身譚という見方もできそうだが、この本で描かれているのは怒りが原因で異形のものとなりつつある妻の姿というよりも、そこまで妻を追い詰めた自分を冷ややかに眺めている教員と小説家の二足の草鞋をはいている作者自身のようでもある。恋愛文学賞を受賞したくらいだから「夫婦の物語」でもあるが、「介護の物語」として読むとこの本がやたらとリアリティに満ちていることに気がついた。ここ数年、自分の親、つれあいの親、老境に入りつつある2匹のワンコなど、介護のことを考えざるを得ない状況が続いているので、他人事とも思えない。


 

2016年9月5日月曜日

イワン・ブーニン 「パリで」とアントン・チェーホフ「犬を連れた奥さん」

10歳違いのアントン・チェーホフとイワン・ブーニンがお互いを尊敬していたことは知られている。40代でチェーホフは早逝し、亡命し60代半ばでノーベル賞を受賞したブーニンは80代まで生きた。ブーニンの死後に未完原稿として「チェーホフのこと」という評論が刊行されている。ブーニンが70代で書いた「暗い並木道」という短編集は鬼気迫る傑作だ。ほとんどの短編に濃厚な死のイメージがあるのは自らの死が迫っていることを自覚してのものだろう。鮮烈で奔放な性のイメージがちらつくのは死の訪れを意識した老人が若い日の恋を回想しているように思われる。いくつも心に残る作品がある中で「パリで」という作品は特に印象が強い。

この作品の主人公はブーニンと同じく革命後にパリに亡命したロシア人で、この短編集の中でも特に小説家自身に近いと思わせる作品だ。さらに面白いのは皮肉たっぷりの短い警句を発する主人公のイメージがチェーホフの中篇としてはおそらく最高傑作である「犬を連れた奥さん」の主人公のイメージと重なる点だ。こちらは映画化されDVDにもなっている。避暑に訪れたヤルタの街で出会った若いヒロインに恋をしてしまう家庭人の主人公は、これまでも何度も火遊びを経験した女性崇拝者でありながら「女は下等な生き物」で困った存在だと考えている。本人のほうがよっぽど困った人だ。

「パリで」の冒頭でこちらの主人公も「美味しいメロンとまっとうな女を見分けるほど難しいことはない」という考え方の持ち主だ。妻に逃げられたことが今でも傷になっているという設定のこの主人公は女性に偏見を持っている。たまたま入ったパリのレストランでウェートレスをしているやはり亡命ロシア人のヒロインに出会う。このヒロインが親切に水差しをテーブルに置くと 「荷車が道をいため、女性が心を傷つけるように、水は酒を台無しにする」 という警句でヒロインを呆れさせる。そんな風に女性一般について悪口を言っておきながら、このヒロイン目当てにこの店に通ってくる。この主人公の人物設定は「犬をつれた奥さん」の主人公にそっくりだ。

ブーニンもチェーホフも中央アジアのロシア語圏で勤務していた頃に熱読した作家だったが、2011年にこの地域を離れてから自然と距離ができていた。昨日突然「パリで」の記憶がよみがえってきたのは、帰省から戻る新幹線の待ち時間に長岡で日本酒の店に立ち寄ったのきっかけだった。米どころの地酒が自慢のこの店では酒を味わう合間にチェイサーとして水を飲むことを勧めている。あちらの世界でブーニンがこれを知ったらびっくりしそうだ。




2016年9月3日土曜日

リンゴの気持ち ウイスキーの父竹鶴政孝と文学者伊藤整

しばらく前にNHKのドラマで脚光を浴びた北海道余市市は伊藤整の生まれた小樽市塩谷村に隣接している。この人の書いた自伝的小説「若い詩人の肖像」の中に何度も出てくる友人川崎昇も余市の出身だ。詩集「雪明りの路」の中に「林檎園の月」、「林檎園の六月」などの詩が収められている。この詩人はその後小説家となり「若い詩人の肖像」を書いた。若い日の恋や憧れを記述したほろ苦い青春記である。伊藤整は詩人から出発して、翻訳家、小説家を経て文芸評論家になった。若い日を思い出す作業には、年を経てからの自分の解釈が入るらしい。桶谷秀昭による評伝「伊藤整」によると、伊藤整の恋人として描かれている女性が事実と異なる部分があると主張したことが書かれている。この自伝的小説がとても面白いので、しばらく前にブログを書いた。

NHKの朝ドラはニッカウヰスキーの創業者、竹鶴政孝夫妻の物語だった。ニッカという社名は大日本果汁に由来する。余市のリンゴ栽培の開始は、明治維新と関係がある。戊辰戦争で敗れ、故郷を離れて余市に入植してきた旧会津藩士らにより、北海道のリンゴ栽培が始まったと伝えられている。1896年には余市のリンゴは「大阪全国大博覧会」で上位入賞を果たしている。竹鶴政孝氏は1894年に広島県で生まれた。伊藤整は1905年に塩谷村で生まれた。竹鶴政孝が壽屋(現サントリー)から独立し、余市に大日本果汁を設立したのは1934年のことだ。したがって伊藤整の青年時代の詩集にはウイスキー蒸留所の話は出てこない。長年の熟成を必要とするウイスキー造りで竹鶴敬孝を支えた余市のリンゴ園は若い日の詩人伊藤整の出発点でもある。