太宰治の夫人である津島美知子の「回想の太宰治」を読んだ。この本が出版されたのは1978年だ。高橋和己の夫人である高橋たか子の「高橋和己の思い出」が出版されたのは1977年なので一年違いである。小説家としての高橋たか子のファンだったのでこちらは刊行後すぐに読んでいる。いくつかの点で共通したものがある。高橋たか子は、本の冒頭から3つ目の「出会い」という文章の中で夫君の容貌について書いている。「主人は大変美青年であった。。。それは美貌と哲学的純粋さとでもいったものが融けあっている顔である。眼が澄んでいて、世間の一切から超然としているような気配がある」。 津島美知子も「御崎町時代、近くの女の子たちが「おさむらいだ、昔の人だ」などと太宰を見上げて囁き合った、いささか特異な、目立つ風貌である。」 と書いている。
高橋たか子は夫のことを「主人は自閉症の狂人であった」「閉ざされた宇宙の中で観念の積木遊びをしていたのだ」「生身の女である私を、母親の観念に近い抽象的なものであらしめようと望み、そんな快適な膜の中に自閉し続けたように私には思われる」と書いている。津島美知子は夫のことを「皮をむかれて赤裸の因幡の白兎のような人で、できればいつも蒲の穂綿のような、ほかほかの言葉に包まれていたいのである」と書いている。どちらも自分の夫に自閉症的な傾向があったことを指摘しているのが共通している。
高橋たか子はさらに書いている。「私は主人の小説を清書し続けた。口述筆記もした。私の手を通ることで完成したものの枚数は、合計すれば三、四千枚はあるだろう」。 「無名時代は私だけが全く無心に主人の文学を支持していたのであったが、有名になってからは無心有心を問わず沢山の支持者もできた。。。だが、私の支持がなくなってからの主人の作品は失敗作ばかりである」。 津島美知子も新婚時代を描いた「御崎町」という文章の中で「この家での最初の仕事は「黄金風景」で、太宰は待ちかまえていたように私に口述筆記をさせた」と書いている。
高橋たか子がペンネームについて夫君に相談した時のエピソードが面白い。「高橋でいい、とむっつり言った。その時の主人の気持を、わたしはよくわかっていた。家庭という枠に納まらないようなところが私にあるのを主人は知っていて、高橋という名前で、家庭に納まらせたのだ、と私は思っている」。 津島美知子は夫君の乳母のたけさんという女性について「私には甲州という異郷にあって太宰が、小林さんや郷里のたけさんなど、自分を支持してくれる人の名を呼び続けていたような気がする」と本の冒頭から2つ目の「寿館」という文章で書いている。このたけさんについては本の中盤で「アヤメの帯 - たけさんのこと」という文章がある。この女性が美知子夫人が予想していたよりも若かったこと、雪の肌の持ち主であること、賽の河原の野宿の話などしきりと「おばさん」ではなく「女性」であることを強く意識した文章になっている。
この2つの回想記、どちらも生き生きした描写で面白いが、妻たちから眺めた作家たちの横顔に共通点があることに注目しながら読むとさらに面白い。
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