車谷長吉氏がご逝去された。ご冥福をお祈り申し上げます。1998年(平成十年)に直木賞を受賞した「赤目四十八瀧心中未遂」以来、とても気になる人だった。その当時、ロンドンに住んでいた。新聞で取り上げられていたこの本が気になって日本から送ってもらって読んだ。この物語は映画化され、主演女優寺島しのぶの出世作となった。この人はその後も「忌中」(2003年)、「妖談」(2010年)など不思議な迫力に満ちた小説を書き続けた。
「忌中」という短編集の中に「古墳の話」という短編がある。冒頭の文章が変わっている。「私ども夫婦は、平成五年十月十七日に結婚した。わたしは四十八歳、嫁はんは四十九歳、ともに初婚だった。平成十四年十月十七日は。九回目の結婚記念日だった。。。」。この短編は、初めて別々に過ごした2002年の結婚記念日に、高校時代に無残な死をとげた友人の霊を慰めるために、郷里の古墳に登る話だ。この短編の中で、「大学2年の夏休みに突然、将来は文士になって哀悼の小説を書こう、という考えに取りつかれ、独文科へ進級した」という文章がある。古墳が好きでそれまでは考古学を学ぶことを考えていたそうだ。
「嫁はん」である詩人の高橋順子氏は1997年12月に「鬼の雪隠」(高橋順子詩集 思潮社現代詩文庫)という文章を書いた。強迫神経症を病んでいる「連れ合い」に、石舞台などの古墳のある風景を見せたくて、明日香村を訪ねた時の文章だ。「連れ合いは虚無的なものに傾斜しがちな人だが、生のほうにも強く手をかけている人である。振幅が大きい。その人と、主人公たちの死に絶えた村を歩いてみたかった。そこから立ち上がってくるものがあれば、わたしたちは救われるような気が、少なくとも私はしたのである。」 高橋順子氏は詩人専業となる前は編集者だった。自分の「連れ合い」となったこの小説家をよくよく理解していたことがうかがい知れる文章だ。
高橋順子氏の詩集「貧乏な椅子」(2000年花神社)に「天狗」という詩がある。
「結婚五年目にしてわたしたちには
すでに失われた懐かしい家がある
その家の二階でつれあいはワード・プロセッサーを打ちつつけ
心中物の小説を書いていた。。。」
(以下略 「高橋順子詩集 思潮社現代詩文庫)
この小説が「赤目四十八瀧心中未遂」であることは間違いなさそうだ。鬼気迫る本だった。主人公は作家になりたくて、東京のサラリーマン生活を投げ捨てる。ほめてくれる雑誌編集者もいたので何とかなると思っていたのが、実際に作家志望専業になった途端に生活に困ってしまう。母親も息子に愛想を尽かす。「他人様は上手いことを言うだろうよ。お前に小説が書けようが書けまいが他人事だから。お前が野たれ死にしようがしまいがどうだっていいさ。それを真に受けてどうする。」 この辺りの苦しい記憶が繰り返し登場する初期の短編集はどれも凄い。
この小説の主人公は、仕事を転々として、やがて大阪尼ヶ崎のアパートの一室でひたすらモツ肉の串を刺し続けることになる。この本を読んだ時は、わたしも日本の会社員生活に区切りをつけて海外で仕事をするようになってから8年目だった。異国の言葉を話す人たちに囲まれながら、朝から晩までデスクトップの前に座ってプロジェクト報告をまとめる作業に追われながら暮らしていた。同じような「異域」に住む主人公に感情移入した。都市に埋没して生きる疎外感と、あてのない漂流感覚を描いたこの本は傑作だ。偶然のように怪しげな場所に居つくようになること、それまでの葛藤から解放されてその場所の居心地がいいこと、不思議な魅力の女が登場してくることの3点で安部公房の「砂の女」を連想させるが、「赤目四十八瀧心中未遂」を際立たせているのはその緊迫した情念の強さだ。
「妖談」という2010年の作品がまた変わっている。この本には、34編の小説とも随筆ともつかないとても短い作品が収められている。「駒込千駄木町」、「ある精神科医」、「読売新聞配達員」という題の3つの話の中に、主人公が48歳の時に49歳の女性と結婚したこと、30代の時に京阪神の各地で料理屋の下働きをしたことが繰り返しのように出て来る。そしてそのどれもが何とも言えない妖しげな雰囲気を醸し出す。この3つの掌編を読むと「赤目四十八瀧心中未遂」に描かれている30代からの漂流経験と、その後48歳になって自分を理解できる「嫁はん」を得たことが、この小説家にとっていかに大きな事件であったかがわかる。合掌。
「忌中」という短編集の中に「古墳の話」という短編がある。冒頭の文章が変わっている。「私ども夫婦は、平成五年十月十七日に結婚した。わたしは四十八歳、嫁はんは四十九歳、ともに初婚だった。平成十四年十月十七日は。九回目の結婚記念日だった。。。」。この短編は、初めて別々に過ごした2002年の結婚記念日に、高校時代に無残な死をとげた友人の霊を慰めるために、郷里の古墳に登る話だ。この短編の中で、「大学2年の夏休みに突然、将来は文士になって哀悼の小説を書こう、という考えに取りつかれ、独文科へ進級した」という文章がある。古墳が好きでそれまでは考古学を学ぶことを考えていたそうだ。
「嫁はん」である詩人の高橋順子氏は1997年12月に「鬼の雪隠」(高橋順子詩集 思潮社現代詩文庫)という文章を書いた。強迫神経症を病んでいる「連れ合い」に、石舞台などの古墳のある風景を見せたくて、明日香村を訪ねた時の文章だ。「連れ合いは虚無的なものに傾斜しがちな人だが、生のほうにも強く手をかけている人である。振幅が大きい。その人と、主人公たちの死に絶えた村を歩いてみたかった。そこから立ち上がってくるものがあれば、わたしたちは救われるような気が、少なくとも私はしたのである。」 高橋順子氏は詩人専業となる前は編集者だった。自分の「連れ合い」となったこの小説家をよくよく理解していたことがうかがい知れる文章だ。
高橋順子氏の詩集「貧乏な椅子」(2000年花神社)に「天狗」という詩がある。
「結婚五年目にしてわたしたちには
すでに失われた懐かしい家がある
その家の二階でつれあいはワード・プロセッサーを打ちつつけ
心中物の小説を書いていた。。。」
(以下略 「高橋順子詩集 思潮社現代詩文庫)
この小説が「赤目四十八瀧心中未遂」であることは間違いなさそうだ。鬼気迫る本だった。主人公は作家になりたくて、東京のサラリーマン生活を投げ捨てる。ほめてくれる雑誌編集者もいたので何とかなると思っていたのが、実際に作家志望専業になった途端に生活に困ってしまう。母親も息子に愛想を尽かす。「他人様は上手いことを言うだろうよ。お前に小説が書けようが書けまいが他人事だから。お前が野たれ死にしようがしまいがどうだっていいさ。それを真に受けてどうする。」 この辺りの苦しい記憶が繰り返し登場する初期の短編集はどれも凄い。
この小説の主人公は、仕事を転々として、やがて大阪尼ヶ崎のアパートの一室でひたすらモツ肉の串を刺し続けることになる。この本を読んだ時は、わたしも日本の会社員生活に区切りをつけて海外で仕事をするようになってから8年目だった。異国の言葉を話す人たちに囲まれながら、朝から晩までデスクトップの前に座ってプロジェクト報告をまとめる作業に追われながら暮らしていた。同じような「異域」に住む主人公に感情移入した。都市に埋没して生きる疎外感と、あてのない漂流感覚を描いたこの本は傑作だ。偶然のように怪しげな場所に居つくようになること、それまでの葛藤から解放されてその場所の居心地がいいこと、不思議な魅力の女が登場してくることの3点で安部公房の「砂の女」を連想させるが、「赤目四十八瀧心中未遂」を際立たせているのはその緊迫した情念の強さだ。
「妖談」という2010年の作品がまた変わっている。この本には、34編の小説とも随筆ともつかないとても短い作品が収められている。「駒込千駄木町」、「ある精神科医」、「読売新聞配達員」という題の3つの話の中に、主人公が48歳の時に49歳の女性と結婚したこと、30代の時に京阪神の各地で料理屋の下働きをしたことが繰り返しのように出て来る。そしてそのどれもが何とも言えない妖しげな雰囲気を醸し出す。この3つの掌編を読むと「赤目四十八瀧心中未遂」に描かれている30代からの漂流経験と、その後48歳になって自分を理解できる「嫁はん」を得たことが、この小説家にとっていかに大きな事件であったかがわかる。合掌。