井上靖の小説を10代の頃に読んでとても好きだった。中学生の国語の教科書で読んだ「しろばんば」がしみじみとしている。高校生になってからも「夏草冬濤」、「北の海」など、この人の本を読み続けた。散文詩集も読んだ。「比良のシャクナゲ」もその頃読んだ記憶がある。同じ題名の短編小説もある。よほどこの花の情景が気に入ったのだろう。1990年代から仕事で中央アジアやコーカサスの国を訪ねたり、駐在勤務をした時に井上靖に「再会」したのも懐かしい記憶だ。この人はシルクロードや西域を舞台にした散文詩や小説を数多く書いている。「崑崙の玉」(文春文庫)というキルギスや西域を舞台にした短編集を、それらの小説の舞台となった場所で読んでいると思うと味わい深いものがあった。
12年にわたって3つの途上国での駐在勤務を続けた後で、ロンドンの本部に戻った。50代の半ばになっていた。「石楠花」と書くこの花を実際に見たのはそれからだ。ロンドンの南西部にある広大なリッチモンド公園の中にイザベラ植物園という秘密の森みたいな場所がある。4月の末から5月の間だけつつじとシャクナゲの見事な開花を観ることができる。「大きなつつじが木の上の方に咲いている」と怪訝に思ったのがシャクナゲだった。
井上靖は医者の家に生まれた。お父さんがあちこちに転勤があったことと、兄弟が多くて大変だったことなどで、祖父の後妻であった人に預けられて育ったそうだ。「しろばんば」という自伝的な小説の世界だ。このお祖母さんは井上靖をとても可愛がり、短期の予定で預かった幼子の井上靖をその後も手離さなかったそうだ。自分が寂しいこともあっただろう。井上靖としては、自分だけが親と離れて育てられたことがわだかまりになったらしい。ありそうな話だ。わたし自身にも、わたしの周辺にも思い当たることがある。その昔は「家の都合」で似たようなことは頻繁に起きたらしい。
この人の小説も、散文詩のような静けさと孤独感が特徴だ。実の両親と育ててくれた血のつながっていないお祖母さんの間に挟まれる形で子供時代を過ごした結果として、この小説家が人間関係を煩わしく思うようになったとしても不思議ではない。そうした厭世的な感覚が、井上靖の作品には色濃い。この人は、やがて中国や、モンゴルや、西域作品を書くようになり、自分の生まれた土地を離れて漂泊する魂の物語を書き続けることになる。
「比良のシャクナゲ」は大学を出て、新聞社に勤めながら、やがては作家として世の中に出ることを夢見ていたであろう若い日の作品だ。勤め人としての鬱屈や疲れを感じるたびに、比良のシャクナゲの写真を思い出すという詩だ。そういう思いを抱いてから十年ほど経って、そこまで追いつめられていない自分に気がつくというひねり方が面白い。比良の山々はこの詩人の心の中に存在していたのだろう。ぽっかりと心が明るくなるような詩だ。
比良のシャクナゲ
むかし「写真画報」という雑誌で"比良のシャクナゲ"
の写真をみたことがある。そこははるか眼下に鏡のよう
むかし「写真画報」という雑誌で"比良のシャクナゲ"
の写真をみたことがある。そこははるか眼下に鏡のよう
な湖面の一部が望まれる比良山系の頂きで、あの香り高
く白い高山植物の群落が、その急峻な斜面を美しくおお
っていた。
その写真を見たとき、私はいつか自分が、人の世の生活の
疲労と悲しみをリュックいっぱいに詰め、まなかいに立
つ比良の稜線を仰ぎながら、湖畔の小さい軽便鉄道にゆ
られ、この美しい山巓の一角に辿りつく日があるであろ
うことを、ひそかに心に期して疑わなかった。絶望と孤
独の日、必ずや自分はこの山に登るであろうと──。
それからおそらく十年になるだろうが、私はいまだに比
良のシャクナゲを知らない。忘れていたわけではない。
年々歳々、その高い峯の白い花を瞼に描く機会は私に多
くなっている。ただあの比良の峯の頂き、香り高い花の
群落のもとで、星に顔を向けて眠る己が睡りを想うと、
その時の自分の姿の持つ、幸とか不幸とかに無縁な、ひ
たすらなる悲しみのようなものに触れると、なぜか、下
界のいかなる絶望も、いかなる孤独も、なほ猥雑なくだ
らぬものに思えてくるのであった。
(「井上靖全詩集」井上靖 新潮文庫)
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