2016年3月26日土曜日

歌人吉井勇 沈丁花と馬酔木

わたしの郷里である越後長岡から旧制長岡中学を終えた堀口大學先輩が上京したのは1909年のことだ。堀口先輩はこの上京の列車の中で吉井勇の歌を読んで心酔し、その秋に新詩社に参加する。浪漫派の歌人吉井勇は詩人堀口大學の誕生に影響を与えたということになる。

明治19年(1886年)に東京で生まれた歌人吉井勇は、19歳の時に肋膜を病み鎌倉で療養のために夏を過ごした。年譜によると与謝野寛に手紙を書いて新詩社に参加したのもこの頃だ。明治42年(1909年)には雑誌「スバル」が創刊され、編集に参加した。その後も鎌倉長谷に住んだりした。それで歌集をめくるとあちこちに
七里が浜や鶴岡八幡宮など鎌倉を舞台にした歌が出てくる。

代表作である「酒ほがい」という歌集の中に「その夜半の十二時に会ふことなどを誓えど君のうすなさけなる」という歌があります。中央アジアで働いていた頃に読んだチェーホフの小説を連想しました。早逝したこのロシアの作家は晩年に印象的な作品を残しています。小説「イオーヌイチ」の中で重要な役割を果たす出来事がこの吉井勇の歌そのままなのが面白い。

鎌倉の古寺をめぐりながら散歩すると沈丁花や馬酔木をよく見かける。歌集の中にも出てくる。

「沈丁花にほふ夕やしくしくと胸ぬち痛むものあるごとし」

「この夜また身に染むことを君に聴く沈丁花にも似たるたをやめ」

「うたがひもほのかに胸に来るときは沈丁花など嗅ぐここちする」

「萬葉の相聞の歌くちずさみ馬酔木の花はみるべかりけり」

「萬葉のむかしを思ふこころもて馬酔木の花の咲くころに来む」

「寂しければ垣に馬酔木を植ゑにけり捨て酒あらばここに灌がむ」


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