中公文庫の宇野千代「私の文学的回想記」はまだロンドンに住んでいた頃にピカデリーの日本の書店で見つけた。1972年の本が「何で今頃?」と思ったが文庫に入ったのは2014年だからまだ新しい。この本を読んでいて連想した本がある。詩壇・文壇の人々との交流を、自分史として書いた伊藤整の傑作「若い詩人の肖像」だ。宇野千代の回想記の解説によるとこの人は山口県の出身だ。岩国高等女学校を卒業後、小学校の代用教員になり、恋愛事件を起こして職を追われ、三高生だった従兄弟と京都で同棲する。この従兄弟が東京帝大に入学したので上京し、本郷三丁目のレストランで働く。この回想記はその頃から物語りが始まっている。帝大を卒業して北海道拓殖銀行に就職した従兄弟と結婚して藤村姓となり、札幌に移り住んだ。
かすかに記憶の中で響くものがあった。気になって調べてみた。見つけた。伊藤整の「若い詩人の肖像」の第一章「海の見える町」に「札幌のある会社員の妻が、小説を書いて東京に出、「中央公論」にこの頃作品を発表している。藤村千代というのがそれだ」 という記述がある。小樽と余市の間にある小さな村に生まれた伊藤整は旧制中学の頃から詩や英文学に目覚め、小樽高等商業に進学してからもやがては東京に出て詩人となることを夢見ていた。そういう伊藤青年が、同じ北海道から一足先に都に出て活躍し始めた新進作家として意識していたのが宇野千代だったことになる。伊藤整の自伝的小説を読んだのは高校の現代国語の教科書だった。あれから40年ほど経って、この藤村女史が宇野千代であることに気がついた。
宇野千代の回想記の中に登場する詩人・作家たちのエピソードが面白い。宇野千代が尾崎士郎と馬込の家に住んでいた頃に宇野千代が当時の「断髪」というモダンなおかっぱにしたことが様々な反響を呼んだそうだ。萩原朔太郎の当時の夫人が影響を受けて、同じく断髪にすると若く見えるようになり、年下のボーイフレンドを作って萩原家を出て行ったそうだ。萩原先生には気の毒な話だが、この大詩人がもしも家庭の幸福に満足する毎日だったらあれほどの傑作群を書けたかだろうかという気持ちもする。
萩原朔太郎と室生犀星の友情はよく知られているが、萩原家を出て行った夫人に影響を与えた「新時代の女」宇野千代に対して、室生犀星は晩年まで反感をあらわにしていたというエピソードも面白い。宇野千代は萩原朔太郎とは近所の友人の域を越えた付き合いはなかったそうだが、馬込の田圃の中をよく散歩したそうだ。ある日、萩原先生は「何千万年か後に、また、かうしてあなたと一緒に、この馬込の田圃の中とそっくり同じところを、いまとそっくり同じやうにして散歩することが、きっとある。」と語ったそうだ。
室生犀星が宇野千代に反感を持っていたのは、必ずしも別れた萩原夫人が理由ではなくて、萩原朔太郎本人にとって、宇野千代が危険だと友人の直観で感じていた可能性もあるだろう。芸術家を友だちに持つ人がその芸術家に近寄る女性に反感を持つのは世界的に共通した心情だ。イタリア映画の傑作「ニュー・シネマ・パラダイス」の物語もそうだし、作家開高健の学生時代からの友人谷川永一が開高夫人となった詩人牧羊子に示した反感にも共通するものがありそうだ。
世の中には面白い本がたくさんあるが、一冊を手にした途端に次から次へと他に連想が広がる本は楽しい。宇野千代の回想記はとても面白い。
かすかに記憶の中で響くものがあった。気になって調べてみた。見つけた。伊藤整の「若い詩人の肖像」の第一章「海の見える町」に「札幌のある会社員の妻が、小説を書いて東京に出、「中央公論」にこの頃作品を発表している。藤村千代というのがそれだ」 という記述がある。小樽と余市の間にある小さな村に生まれた伊藤整は旧制中学の頃から詩や英文学に目覚め、小樽高等商業に進学してからもやがては東京に出て詩人となることを夢見ていた。そういう伊藤青年が、同じ北海道から一足先に都に出て活躍し始めた新進作家として意識していたのが宇野千代だったことになる。伊藤整の自伝的小説を読んだのは高校の現代国語の教科書だった。あれから40年ほど経って、この藤村女史が宇野千代であることに気がついた。
宇野千代の回想記の中に登場する詩人・作家たちのエピソードが面白い。宇野千代が尾崎士郎と馬込の家に住んでいた頃に宇野千代が当時の「断髪」というモダンなおかっぱにしたことが様々な反響を呼んだそうだ。萩原朔太郎の当時の夫人が影響を受けて、同じく断髪にすると若く見えるようになり、年下のボーイフレンドを作って萩原家を出て行ったそうだ。萩原先生には気の毒な話だが、この大詩人がもしも家庭の幸福に満足する毎日だったらあれほどの傑作群を書けたかだろうかという気持ちもする。
萩原朔太郎と室生犀星の友情はよく知られているが、萩原家を出て行った夫人に影響を与えた「新時代の女」宇野千代に対して、室生犀星は晩年まで反感をあらわにしていたというエピソードも面白い。宇野千代は萩原朔太郎とは近所の友人の域を越えた付き合いはなかったそうだが、馬込の田圃の中をよく散歩したそうだ。ある日、萩原先生は「何千万年か後に、また、かうしてあなたと一緒に、この馬込の田圃の中とそっくり同じところを、いまとそっくり同じやうにして散歩することが、きっとある。」と語ったそうだ。
室生犀星が宇野千代に反感を持っていたのは、必ずしも別れた萩原夫人が理由ではなくて、萩原朔太郎本人にとって、宇野千代が危険だと友人の直観で感じていた可能性もあるだろう。芸術家を友だちに持つ人がその芸術家に近寄る女性に反感を持つのは世界的に共通した心情だ。イタリア映画の傑作「ニュー・シネマ・パラダイス」の物語もそうだし、作家開高健の学生時代からの友人谷川永一が開高夫人となった詩人牧羊子に示した反感にも共通するものがありそうだ。
世の中には面白い本がたくさんあるが、一冊を手にした途端に次から次へと他に連想が広がる本は楽しい。宇野千代の回想記はとても面白い。
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