2016年8月25日木曜日

角田光代「さがしもの」

新潮文庫に入っているこの本には9本の短編が収められている。冒頭の「旅する本」という物語がとても面白い。東京で一人暮らしをすることになって部屋も狭いし、飲み代にも困って他のものと一緒に一冊の文庫本を古本屋に売り払う。学生時代が終わるにあたって卒業旅行で出かけたネパールのポカラの安宿の近くの古本屋でその本に再会する。風変りな本でそういう本を読む人はネパールや60年代ヒッピー風の生活に憧れる傾向があると考えれば無理な話とも言い切れない。この人は雨に降られて宿にとどまっている暇つぶしもあってその文庫本を再読する。荷物を減らすためにその本をカトマンズで売り払う。

社会人になった主人公が仕事でアイルランドを旅している時にふらりと入った古本屋でその本にめぐり合う。現実味がないなあと主人公自身が述懐しながらこの人はその本を買い求め、パブでギネスを飲みながら飛ばし読みする。帰国途中のロンドンでその本を売ってしまおうと考える。それはこの次どこで出会うことになるのか興味があるからというのがこの不思議な短編の結末である。

この本の味わいはそれが現実がどうかにあるのではない。童話だと思えばすむことだし、あるいはそういう節目節目でその本の内容を思い出したことを書いたと思えばありそうな話だ。

余談がある。去年の春、まだロンドンに住んでいた時に旅行中のOさんご夫妻が訪れてくれた。長いことご無沙汰だったキューガーデンズにご一緒したり、野生の鹿のいるリッチモンド公園にワンコも連れて行って散歩したりで楽しかった。お土産にいただいた日本酒を飲みながら、夜更けまで好きな本の話をしたときに登場したのが角田光代さんだった。都の西北にある大学の学生時代に学年が近かったのでご縁があるらしい。映画化された「紙の月」は宮沢りえ主演の映画も凄いが、原田知世主演のドラマ版も鬼気迫る感じがした。

安野光雅「繪本 即興詩人」

この人の優しい色調の絵はこれまでも見たことがある。ある日この挿絵入りの随筆のような本が居間のテーブルに置いてあった。つれあいが買ってきたものだった。森鴎外に興味があるのだろうか?、即興詩人に興味があるのだろうか?と訊ねてみると「別に。絵が素敵だから買ってきた」とのことだった。

アンデルセン原作の「即興詩人」には一昨年から興味を持っている。黒沢明監督の「生きる」にも、五藤利弘監督の「想い出はモノクローム」にも登場する「ゴンドラの唄」の由来について調べているうちに作詞した歌人吉井勇が種本としたのはこの本に違いないと思ったからだ。その辺りの詳しい経緯は別にブログで書いている。この唄の由来については塩野七生氏も推論を著書の中で書いている。イタリアの古謡に由来するという指摘はその通りなのだが、それが吉井勇に伝わったルートについて明確な説明がない。この点は森鴎外の訳した「即興詩人」を読めば答えは明らかである。本書142頁の「妄想」という章で安野氏もゴンドラの唄に言及している。

この絵本を書いた安野さんという人はこの物語が大好きらしい。先日、書店でこの人の「現代語訳 即興詩人」という本も手に取ってみた。アンデルセンからの訳ではなくて、森鴎外の文語訳を現代語訳にしたものだ。こういうとことん徹底したこだわり方はすごい。そういう点ではわたしも自分訳を試みてみたい本が一冊ある。いつかと思っているが、残された時間もゆっくりとではあるが限られてきたように感じるこの頃だ。

それはさておきこの画文集とても素敵な本だ。

 

2016年8月14日日曜日

キルギスでアーネスト・ヘミングウェイ「移動祝祭日」を読んだ

721日はヘミングウェイの誕生日だったので、キルギスの友人たちが草原で酒を酌み交わしてヘミングウェイを偲んだというFB投稿を読んだ。キルギスにいた頃に新潮文庫で「移動祝祭日」を読み共感したので、「武器よさらば」と「日はまた昇る」を読んだ。面白かった。わたしが50代になった頃の話だ。「移動祝祭日」はまだヘミングウェイの名声が確立する前のパリ時代を中心とした回想録だ。この本の中でヘミングウェイがフィッツジェラルドとの関わりについて書いているのが面白い。「グレート・ギャツビー」を書いたフィッツジェラルドのことは20代の頃から好きだったので、複雑な気持ちになった。ずいぶん手厳しい人物評だ。 お互いの魅力を認め合いながら、やがてすれ違う人たちの例として、四方田犬彦氏が由良君美先生に捧げるために書いた「先生とわたし」という本を思い出した。