村上春樹作品とは30有余年前の新人会社員時代からのお付き合いなので熱烈な蜜月時代を経て、「ノルウェイの森」以降社会現象にまでなってしまってからは次々と繰り出される新作を、なんとなく冷ややかな目で見る感じがあった。今でも好きな作品を3つ選ぶとしたら「風の歌を聴け」、「羊をめぐる冒険」、「国境の南、太陽の西」など初期から中期の作品ということになる。「ノルウェイの森」はいろいろまだ未消化の個人的な記憶を無理矢理思い出させられる部分が多くて、好きになれないところがある。それでつかず離れずの関係を維持してきたつもりだった。
そういう村上春樹の読み手の一人として、内田樹「もういちど村上春樹にご用心」(文春文庫)を読んでまいってしまった。この書評集、最初から最後まで面白いわけではない。どうでもいい部分も多い。ところが「「冬のソナタ」と「羊をめぐる冒険」の説話論的構造」と「境界線と死者たちと狐のこと」の2編を読むだけで、自分が村上春樹を好きだったし、今でも好きなことに明確な理由が存在することに気がつかされた。しばらく前に書いた「羊をめぐる冒険」と「砂の女」を比較した文章が精確なものであることについても理解できてしまう。内田氏の「辺境論」がベストセラーになった時にもそれほど心を動かされなかったのに、この村上春樹論では感服してしまった。
内田氏は「村上春樹はその小説の最初から最後まで、死者が生者の生き方を支配することについて、ただそれだけを書き続けてきた。。。それが村上文学の純度を高め、それが彼の文学の世界性を担保している。」と指摘する。言い得て妙。 冬ソナとの比較を論じた章の中に、村上作品の中での死者との問答について「この問答は「私は死んでいるのだが、正しい服喪の儀礼を経験していないせいで、まだ死に切っていないのだ」という答えを死者自身が見出すまで続けられる」という説明がある。また村上春樹を「雨月物語」の上田秋成の後継者として論じた章では「行き場を失った夢は境界を超えて現実に侵入してくる。」と解説する。これは五藤 利弘監督の「ゆめのかよいじ」の世界にも直結するものだ。突然異界に去る形で失われた肉親や友人や恋人と再会し、きちんとした服喪の儀礼をして死者の国に送り直す物語。それは世界中のどこでも理解される主題だ。
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