茨木のり子という詩人の「わたしが一番きれいだったとき」という詩もよく知られている。自分が一番きれいで、何もかも手に入れてもおかしくなかったはずの時代は仕事に追われ、自信が無くて、悩むことばかりで、何もない時代だった。だから長生きして少しずつ自分のために生きていこうとこの人は書いた。残りの人生などではなく、これから自分の生きたいように生きるんだという気迫が伝わってくる。
後藤正治著「清冽 詩人茨木のり子の肖像」という評伝がある。その第十一章「ハングルへの旅」にこの詩人の韓国語との関わりが詳しく描かれている。「わたしが一番きれいだったとき」、「自分の感受性くらい」、「椅りかからず」などいくつかの詩も収められている。この詩人に興味のある人にとってはこの評伝はとても素敵な入門書だ。この人は50歳を過ぎてから韓国語を勉強し、その国を旅し、文献を読み、自分の世界を広げている。そんな風に生きてみたいものだ。
「わたしが一番きれいだったとき」
わたしが一番きれいだったとき
街々はがらがら崩れていって
とんでもないところから
青空なんかが見えたりした
わたしが一番きれいだったとき
まわりの人達がたくさん死んだ
工場で 海で 名もない島でわたしは
おしゃれのきっかけを落としてしまった
わたしが一番きれいだったとき
だれもやさしい贈り物を捧げてはくれなかった
男たちは挙手の礼しか知らなくて
きれいな眼差しだけを残し皆発っていった
わたしが一番きれいだったとき
わたしの頭はからっぽで
わたしの心はかたくなで
手足ばかりが栗色に光った
わたしが一番きれいだったとき
わたしの国は戦争で負けた
そんな馬鹿なことってあるものか
ブラウスの腕をまくり卑屈な町をのし歩いた
わたしが一番きれいだったとき
ラジオからはジャズが溢れた
禁煙を破ったときのようにくらくらしながら
わたしは異国の甘い音楽をむさぼった
わたしが一番きれいだったとき
わたしはとてもふしあわせ
わたしはとてもとんちんかん
わたしはめっぽうさびしかった
だから決めた できれば長生きすることに
年とってから凄く美しい絵を描いた
フランスのルオー爺さんのように
ね(「茨木のり子詩集 谷川俊太郎選」 岩波文庫)
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