2017年4月5日水曜日

生はいとしき蜃気楼と 茨木のり子の詩 「さくら」

2014年の春に藤原正彦氏が週刊誌に連載していた「管見妄語」というコラムでこの詩を見つけてから、とても好きになった。いろいろなことがきっかけで普通は見えないものが見えたり、感じないものを感じたりする人たちはいる。そういうことが不思議な現象などではなくて自然なことなのだと感じさせてくれる。

「さくら」

ことしも生きて
さくらを見ています
ひとは生涯に
何回ぐらいさくらをみるのかしら
ものごころつくのが十歳ぐらいなら
どんなに多くても七十回ぐらい
三十回 四十回のひともざら
なんという少なさだろう
もっともっと多く見るような気がするのは
祖先の視覚も
まぎれこみ重なりあい霞だつせいでしょう
あでやかとも妖しとも不気味とも
捉えかねる花のいろ
さくらふぶきの下を ふららと歩けば
一瞬
名僧のごとくにわかるのです
死こそ常態
生はいとしき蜃気楼と

(「茨木のり子詩集 谷川俊太郎選」 岩波文庫)

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