2015年6月21日日曜日

プーシキンと音楽の関係

ロシアの歌や映画が好きな人はたくさんいる。いつか訪れる時のためにロシア語を勉強したいと思っている人も多い。わたしも仕事で行く機会があったことがきっかけで、チェーホフやブーニンの短編を読んだ。ロシア語の授業の教材だったので、原文と訳文を照らし合わせて読む経験をした。それからロシアの作家や映画に興味を持つようになった。

19世紀前半に活躍してロシア詩壇の黄金時代を築いたアレクサンドル・プーシキンという人がいる。20031月に仲間と訪れたモスクワのトレチャコフ美術館の入り口で、プーシキンの歌曲のCDを売っていた。中身もわからないまま記念に買った。家に帰って聴いてみた。一曲目の「アンナ・ケルンに」のピアノのメロディが気に入り、何の歌なのか知りたいと思ったのがプーシキンとの出会いだ。耳を経由してこの人の世界とめぐり会ったことになる。

1799年にロシアの貴族の家に生まれたこの人は20歳を過ぎた頃にはすでに詩の才能を認められていた。決闘で受けた傷がもとで37歳で亡くなっているが、短い人生にも関わらず多くの仕事を残している。この人の詩集を読むと自由で率直な印象が強い。それがのびやかな恋愛詩として表現された時は良かったが、やがて政府から危険人物とみなされ、1820年にはペテルスブルクから現在のモルドヴァの首都キシニョフに移り住むことを命じられる。


6年後に都に戻るまでの間に「カフカスの虜」を書いたり、都落ちの生活を楽しんでいたようだ。この時期を懐かしむような詩も書いている。「美しい人よ、あなたの歌い出したグルジアの歌を聴いて、懐かしい岸辺と、月明かりの草原と、別れてきた人の面影を思い出してしまった。哀しい思い出につながるその歌はうたわないでください」という意味の詩にラフマニノフが曲をつけた歌曲はよく知られている。この他にもプーシキンの詩が歌われているものはたくさんある。

この人の詩がイメージを喚起する力もすごい。江戸時代の文政の頃の人なのに、多くの詩が今でも瑞々しい。


またたく間に春が過ぎて

しぼんだ薔薇を惜しむことはない
山のふもとの木のつるに
豊かに実った葡萄の房も愛らしい
それは草深いわが谷の美であり
黄金色に輝く秋のよろこびだ
ほっそりと透き通る
乙女の指のように美しい
             (刈谷田川の夢 訳)

遅咲きの野辺の花々は
あでやかな初花よりも愛おしい
過ぎた夢の物悲しさを
より生き生きと呼び覚ます
そんなふうに別れの記憶が
楽しい出会いよりも心に残ることもある
           (刈谷田川の夢 訳)

プーシキンの「小さな悲劇」という本の中には4つの戯曲が入っている。とてもドラマチックでMP3の朗読劇にもなってもいる。群像社から翻訳が出ていたので、聴きながら読めば自然にロシア語がマスターできるはずだというのがわたしのロシア語挑戦時の狙いだったが、世の中思い通りに行かない。ロシア語の道は遠いが諦めるつもりはない。4つの戯曲の中の一つである「石の客」はセビリアを舞台にしたドン・ジュアン (ドン・ファン、ドン・ジョバンニの発音もある)の物語だ。モーツァルトのオペラ「ドン・ジョバンニ」でもよく知られている。もう一つの「モーツアルトとサリエリ」の物語は1984年のミロス・フォアマン監督の映画「アマデウス」でよく知られている。

音楽好きな人はチャイコフスキーのオペラ「エフゲニー・オネーギン」を思い出すだろう。YouTubeで原作からの「タチアナの手紙」を聴くと、言葉がわからなくても訴えるものがある。岩波文庫に訳があるので、意味はそちらで理解すればいい。異国の言葉を理解したいという気持ちになる点ではこの人の韻文はすごい力を持っている。2014年7月に英国グラインドボーンにこのオペラを観に行った。知る人ぞ知る英国の夏の音楽祭だ。ロンドンから鉄道だと一時間くらいかかる場所で開かれる夏のコンサートは、ダイニング・インタバルと呼ばれる幕間が長く取ってあり、その間に花が咲き乱れる公園を眺めながらピクニックをすることになっている。ブラックタイの正装が暗黙のルールとなっている。シャンパンと赤ワインを合計7人の参加者が持ち寄った。この英字幕付きのオペラは最高に面白かった。ロンドン・フィルの演奏を指揮した気鋭の若手指揮者のことを英ガーディアン紙の評者が絶賛していた。いつか再訪してみたい。







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