2015年7月24日金曜日

芹沢光治良 「人間の運命」

長い間、記憶の奥深くに埋もれていた本だ。わたしと同じく、長岡市栃尾出身のI先輩とワインでも飲みましょうという話になって、ロンドンの金融街シティの中心部にあるロイヤル・エクスチェンジで夕食を楽しみながら、様々な話をしていた。同じ週の月曜日にマークス寿子氏の講演会でもご一緒したばかりなのでその印象を話し合ったり、この秋に日本に帰る予定のわたしのことなどについていろいろ話を聞いてもらったり、聞かされたりしていた。赤ワインのボトル1本が適量で話が弾んだ。その内に二人とも日本にいた頃に読んだ本や、観た映画の話になった。Iさんが「ペンクラブの会長だった人がいたねえ」という話をされた。そこから始まって、二人ともが若い頃に芹沢光治良の「人間の運命」を読んでいることがわかった。わたしにとっては「気になる本」の一冊だったのでびっくりした。

家に帰ってから、幾冊かだけ保存している古い日記を調べてみると、大学一年の夏に読んでいた。当時は戸越銀座に下宿していたので、品川区立図書館で借りて読んだことになる。日記の記事によると7月3日に第1巻「父と子」を読みだして、7月5日に第2巻の「友情」を読み終えている。生まれた家で両親が天理教に帰依し、活動で忙しかったために苦労したこと、おそらくはそういう生活からの脱出の意味もあってひたすら勉強したこと、友だちとの記憶、苦い初恋の記憶など、新潟県の田舎から出てきて大学生になったばかりの自分にとって、他人事とは思えないようなテーマが満載の本で第1,2巻をあっという間にに読んでしまったようだ。


この本は作家の自画像らしき「森次郎」青年が成長し、社会人になってからの話が続いていく大河小説だ。当時の印象では、第3巻から最終巻まで読んであまり感動した記憶がない。少年期から大学生になるまでの話が圧倒的に面白過ぎるからかも知れない。自分の両親が宗教にのめりこみ、否応なしに運命の意味について思いをめぐらす次郎少年、戦前の物語らしく身分違いの恋に苦悩する学生時代、自力で人生を切り開かねばならない緊張感など刺激的な内容の青春物語だった。それに比べると、社会人となり中年に向かう主人公のお役所仕事にも、お見合い結婚にも、優柔不断ぶりにも失望してしまった記憶がある。あれほどに波乱万丈で、ドラマチックだった次郎少年はいったいどこへ行ったのか?大人になるということは退屈な時間を送るということなのか?


おそらくまだ東京に出てきたばかりの18歳の自分にとっては、第1,2巻を我がことのように感じることはできても、社会人になってからの次郎青年の生き方を味わうだけの想像力が欠けていたのだろうと今は思っている。そういう意味では半世紀を生きた今になって読み返すべき本かも知れない。



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