2015年12月28日月曜日

内田義雄 「えつ子 世界を魅了した「武士の娘」の生涯」 に登場する長岡の先人たち

長岡出身の世界的なベストセラー作家である杉本えつ子女史についてのTV番組の中に登場した内田義雄という著者のことが気になったので、ネットで検索して買った本。同女史の父である長岡藩の筆頭家老稲垣平助が幕末の越後長岡の英傑であった河井継之助により、その地位を追われた辺りについての記述が面白い。地元の郷土史研究者へのインタビューなどを丹念に積み重ねた労作のようだ。

河井継之助と言えばわたしの母校である県立長岡高校の校歌にも「かの蒼龍が志を受けて 忍苦まさに幾星霜」と謳われている。その後、司馬遼太郎の「峠」を読み、「台湾紀行」の後書きを読んでますます河井継之助のことを郷土の先人として尊敬してきた。長岡の先人としては他にも山本有三の「米百俵」に出てくる小林病翁(虎三郎)などもいる。稲垣平助を含むこれら幕末長岡の先人たちの関係が良く整理されていて目から鱗だった。北越戊辰戦争で長岡を焦土にした事態を招いた責任者として、人々の怨嗟の的でもあった河井継之助が、その後に名誉回復を果たしたくだりが興味深い。


2015年12月12日土曜日

村上春樹 「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」

去年の暮れに帰省した時に買って積んだままだった「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」を読み終えた。「風の歌を聴け」以来、「羊をめぐる冒険」、「ノルウェイの森」、「国境の南、太陽の西」あたりまでは新作を楽しみにしていた。熱いファン時代を20数年すごしてから少し冷静になった。その後の話題作は、書店で手にとってチェックしても、買わないこともあった。過去の作品世界以上のものに出会えると思えなかったからだと思う。そのくらい村上春樹は気になる人だ。

去年くらいから3冊ほど読んだのは他の人との話の中に出てきたから。「1Q84」はいつもはミステリーや犯罪捜査物しか読まないつれあいが読んでいたので、何ごとが起きているのかと興味を持った。この作品は面白かった。ダブル主演ともいうべきメインのキャラクターの両方が魅力的で、「1人の主人公が2つの世界を行き来する」村上作品のパターンを越えた感じがした。「海辺のカフカ」はFB友だちのRさんの「この作品をどう思うか?」という質問がきっかけだった。この作品を読んだ後で、今年の秋の宮沢りえ主演の蜷川版「海辺のカフカ」ロンドン公演を観る機会があった。原作と舞台を比較することが出来たのは貴重な経験だった。

今回「巡礼の年」を読んだのは今年になってから高校同窓のOさんに2度ほど強く勧められたのが理由だった。とても面白かったが、複雑な気持ちになった。登場する人物たちが、それぞれに過去の作品の登場人物を思い出させる部分があって、同窓会みたいな感じがした。
わたしは村上春樹の初期3部作に強い思い入れがある。村上春樹が若い時に書いた作品の世界をふくらませて、年を重ねて様々な変奏の試みを行っていることはとても興味深いし、どの作品も面白い。


主人公の「つくる」は学生時代の仲良し5人組から突然、理由も知らされないまま「排除」された経験を持つ30代の青年だ。この喪失の痛みと排除される哀しみは「ノルウェイの森」で仲良し3人組の一人だった主人公が、まずその一人である友人が自殺することを経験し、残されたメンバーの片割れである直子にも同じように向こう側に去られてしまう部分と共通している。この喪失感は「国境の南 太陽の西」で、小学生だった頃に島本さんとの幸福な時間を共有していた主人公が、彼女の引っ越しの後で経験した感情ともよく似ている。「巡礼の年」が「ノルウェイの森」と「国境の南 太陽の西」の変奏曲だとすれば、面白くないはずがない。

「巡礼の年」というタイトルが凄い。この物語は16年前に自分が遭遇した事態におびえ、おそらくは自分を守る最小限の方法としてその記憶を封印して生きてきた主人公が、いったい何が起きたのかについて知るべきだと決意し、「地獄めぐり」をする話とも言える。その意味では謎解き小説の形にもなっている。面白いのは、長いあいだ避けてきた過去と向き合う作業の必要性について主人公を説得するのが、ようやく主人公が心を開いてつき合えそうだと感じる新しい女友だちであることだ。この「巡礼の年」の「沙羅」が主人公に語りかける台詞のいくつかは「ノルウェイの森」の「みどり」をそのまま連想させる。彼女たちはそれぞれの主人公にとっては再生の希望を象徴する存在だが、「地獄」を経験した主人公たちをそのまま受け入れるのではなくて、彼らに自らの過去と向き合うことを要求し、きちんとした選択を迫るところが共通だ。

主人公が「巡礼」の旅を始めて、最初に知ることになるのが、かつての5人組の中でとても魅力的だった「シロ」というニックネームで呼ばれた女ともだちが、ほとんど不可知な形で「崩壊」していったことだった。このエピソードが「巡礼物語」の根幹をなしているのだが、その「崩壊した可憐な娘」の描写が、「国境の南 太陽の西」の中に出てくる「イズミ」のイメージそのままでびっくりした。

「巡礼」の旅を続けてヘルシンキまで旅した主人公は、とうとう16年前に起きた「排除」事件の全貌を知ることになる。その理由となったある出来事について主人公が知らされなかったことと、それで深く傷ついたことはとても気の毒だ。ところが、そのことについて主たる責めを負うべき人について、主人公がなにやら罪の意識を感じてしまうことがこの小説の最大の主題なのだと思う。何が真実で、何が虚構だったのか?誰が加害者で、誰が被害者だったのか?この最終部分を読んで「海辺のカフカ」でこの小説家が「雨月物語」や「源氏物語」を引用しながら、「夢」と「生霊」について語っていたことを思い出した。


2015年12月4日金曜日

松谷みよ子 文 丸木俊 画 「つつじのむすめ」

ロンドンを離れて帰国した年の春にロンドンのリッチモンド公園の中にあるイザベラ植物園がツツジの名所であることを教えてもらった。4月の末から5月の後半までの一か月ほど何度も通って素晴らしいツツジの写真を撮影した。その時にウェブサイトで長野県上田市に伝わる「つつじの乙女」という民話のことを知った。この話をもとにして松谷みよ子さんが1974年に「つつじのむすめ」という絵本を出版している。原爆の絵で知られる丸木俊さんが絵を描いた。この秋に帰国してからamazon でこの絵本を入手した。乙女の真摯な恋心ということで子供向けの絵本になったのだろう。全国学校図書館協議会選定の「よい絵本」という帯がついている。

ウェブサイトで物語については知っていたが、丸木俊の絵と眺めながら文を読んでみると鬼気迫るものがある。いくつもの山を隔てて住んでいる若者と娘が祭りの晩に出会い、恋をする。若者に会いたい気持ちを抑えられない娘が夜になるといくつもの山々を越えてやってくる。娘のお土産は温かいつきたての餅だった。ある時不審に思った若者が、その餅について問い質すと、娘は手に握ったもち米が体の熱で餅になっただけだと答える。これを聞いて娘が異常な力を持っていることを確信した若者は怖ろしくなった挙句に、娘を谷底に突き落としてしまう。それからこの谷に真っ赤なつつじが咲くようになったという物語だ。

いくつもの山々を越えて夜ごとに訪れる娘の異常な力、つきたての柔らかい餅、真っ赤なつつじ。恋する若者たちの描写が鮮烈だ。やがて怖れをなし、娘が疎ましくなる男心というのもありそうな話だ。「よい絵本」に選定されているくらいだから、直接的な表現はいっさい出てこない。表現されているのはけなげな恋心と、一生懸命さ、恋の成就を願う激しい情熱だけなのに、思わず息を止めてしまいそうなくらいに妖しく美しい絵本になっている。

長野県では上田市以外にも似たような民話が存在しているそうだ。共同体としてのムラ社会でこのような民話が語り継がれる理由は明らかだろう。若者にとっては恋の火遊びがトラブルに発展することの戒めであり、娘たちにとっては男というものが移り気で無責任で、逃げ出すとなったら過ちも犯してしまいかねない弱虫であることの戒めだ。「一時の熱情に惑わされず、親の決めた伝統的な結びつきが良い」という説話なのだろう。

イザベラ植物園のツツジの美しさに感動した時に、田中冬二のツツジの詩や、新潟県の佐渡情話を連想したことにも関連して、この物語についてブログを書いている。この絵本を読んでもう一度ブログを書こうと思ったのは、この絵本の12ページにある絵を見て、新しい連想が生まれたからだ。この絵が何かに似ていると思ったら、「日高川」の清姫の図と共通していることに気が付いた。恋する気持ちの激しさというのは古今普遍のテーマである。




井上靖 「詩集 乾河道」

藤沢有隣堂5階の古書セクションで、井上靖の「詩集 乾河道」を見つけた。500円玉一枚で買えてしまった。「テッセン」という詩がある。植物に詳しいFB仲間のTさんに鉄線とクレマチスの関係について教えてもらったことがある。中国経由か、欧州経由かの違いはありそうだが海を渡って来た花であることは間違いない。

「テトラポッド」という詩も面白い。「合流点」という詩にはキルギス共和国のイシククル湖が出てくる。1990年代からこの国には仕事で行く機会があり、3年間の駐在勤務も経験したので思い入れのある国だ。「もしもここで」という詩にはゴビ砂漠が出てくる。最近ウランバートル在住のFB仲間のAさんが投稿してくれた写真そのままの世界だ。

井上靖は8冊の詩集を出しているが、このうち3冊のハードカバーが手元にある。なんだかうれしい。

    『北国』(昭和33年 東京創元社)
  『地中海』(昭和37年 新潮社)
  『運河』(昭和42年 筑摩書房)
  『季節』(昭和46年  講談社)
  『遠征路』(昭和51年 集英社)
  『乾河道(かんがどう)』(昭和59年 集英社)
  『傍観者』(昭和63年 集英社)
  『星蘭干』(平成2年  集英社)