2017年4月5日水曜日

茨木のり子 「一本の茎の上に」

詩人の茨木のり子さんの本があちこちの文庫に入っている。岩波文庫の詩集でこの人のいろいろな作品に触れることができるようになったのはありがたい。 ちくま文庫「一本の茎の上に」は小ぶりのエッセイ集だ。冒頭の表題エッセイでは日本人の顔に南方系やら、大陸系やら、様々なパターンがあることに軽妙に触れた上で、ユーラシアとのつながりについての思いが書かれている。

「晩学の泥棒」というエッセイが面白い。この詩人が50歳を過ぎてから韓国語学習にのめり込んだ辺りの秘密を解く鍵が隠されているようだ。金子光晴についての「女へのまなざし」、吉野弘についての「祝婚歌」、山本安英について書いた文章などどれも素晴らしい。

茨木のり子の詩 「わたしが一番きれいだったとき」

茨木のり子という詩人の「わたしが一番きれいだったとき」という詩もよく知られている。自分が一番きれいで、何もかも手に入れてもおかしくなかったはずの時代は仕事に追われ、自信が無くて、悩むことばかりで、何もない時代だった。だから長生きして少しずつ自分のために生きていこうとこの人は書いた。残りの人生などではなく、これから自分の生きたいように生きるんだという気迫が伝わってくる。

後藤正治著「清冽 詩人茨木のり子の肖像」という評伝がある。その第十一章「ハングルへの旅」にこの詩人の韓国語との関わりが詳しく描かれている。「わたしが一番きれいだったとき」、「自分の感受性くらい」、「椅りかからず」などいくつかの詩も収められている。この詩人に興味のある人にとってはこの評伝はとても素敵な入門書だ。この人は50歳を過ぎてから韓国語を勉強し、その国を旅し、文献を読み、自分の世界を広げている。そんな風に生きてみたいものだ。

「わたしが一番きれいだったとき」

わたしが一番きれいだったとき
街々はがらがら崩れていって
とんでもないところから
青空なんかが見えたりした

わたしが一番きれいだったとき
まわりの人達がたくさん死んだ
工場で 海で 名もない島でわたしは
おしゃれのきっかけを落としてしまった

わたしが一番きれいだったとき
だれもやさしい贈り物を捧げてはくれなかった
男たちは挙手の礼しか知らなくて
きれいな眼差しだけを残し皆発っていった

わたしが一番きれいだったとき
わたしの頭はからっぽで
わたしの心はかたくなで
手足ばかりが栗色に光った

わたしが一番きれいだったとき
わたしの国は戦争で負けた
そんな馬鹿なことってあるものか
ブラウスの腕をまくり卑屈な町をのし歩いた

わたしが一番きれいだったとき
ラジオからはジャズが溢れた
禁煙を破ったときのようにくらくらしながら
わたしは異国の甘い音楽をむさぼった

わたしが一番きれいだったとき
わたしはとてもふしあわせ
わたしはとてもとんちんかん
わたしはめっぽうさびしかった

だから決めた できれば長生きすることに
年とってから凄く美しい絵を描いた
フランスのルオー爺さんのように
                     ね

(「茨木のり子詩集 谷川俊太郎選」 岩波文庫)



生はいとしき蜃気楼と 茨木のり子の詩 「さくら」

2014年の春に藤原正彦氏が週刊誌に連載していた「管見妄語」というコラムでこの詩を見つけてから、とても好きになった。いろいろなことがきっかけで普通は見えないものが見えたり、感じないものを感じたりする人たちはいる。そういうことが不思議な現象などではなくて自然なことなのだと感じさせてくれる。

「さくら」

ことしも生きて
さくらを見ています
ひとは生涯に
何回ぐらいさくらをみるのかしら
ものごころつくのが十歳ぐらいなら
どんなに多くても七十回ぐらい
三十回 四十回のひともざら
なんという少なさだろう
もっともっと多く見るような気がするのは
祖先の視覚も
まぎれこみ重なりあい霞だつせいでしょう
あでやかとも妖しとも不気味とも
捉えかねる花のいろ
さくらふぶきの下を ふららと歩けば
一瞬
名僧のごとくにわかるのです
死こそ常態
生はいとしき蜃気楼と

(「茨木のり子詩集 谷川俊太郎選」 岩波文庫)