2016年7月17日日曜日

チェーホフの作品の思い出

7月15日は1904年に44歳で亡くなったロシアの小説家・劇作家アントン・チェーホフの命日だった。百年以上経った今でも、この人の戯曲が世界各地で上演され、小説が読まれている。チェーホフはロシアの南西部でウクライナに近いタガンログに生まれたが、父さんの家業が失敗して借金に追われるようになり、この街を離れたようだ。モスクワの医学生だった時代から、家族を支えるために新聞などに原稿料目当ての短い文章を書き始める。「アントシャ・チェホンテ」のペンネームでユーモアと才気の光る短編を書きまくる。この頃の短い文章は面白さはあっても、深みのある作品とは言い難い。やがて医師となり、さまざまな人々の生活を観察し、30代になり、40代になってこの人の書いたものがどんどん深みを増していった。世界中で上演される4大戯曲も良いが、わたしが好きなのは「犬を連れた奥さん」、「イオーヌィチ」など晩年の短い小説だ。

学生時代から太宰治とか伊藤整などの本でチェーホフの名前は知っていたが、本を読んだことがなかった。仕事でビシュケクに住むようになって、この作家がロシア語圏のみならず、ロンドンの書店でも人気があることに気がついた。乗換えのためのモスクワ空港で「犬を連れた奥さん」のCD本を買ったのがきっかけで、日本から文庫本を取り寄せた。それから逐語で訳を対照しながら、原文を追った。このやり方は熟読に役立つが短い作品にしか使えない。
4章構成のこの中編はとても面白い。主人公のグーロフ君は、これまで女性遍歴も重ねてきた経験から「女性と言うものは実際の彼を理解することができずに、勝手に作り上げた自分のイメージを追いかけるだけの阿呆な連中だ」とバカにしている。海千山千のはずの彼が運命の人に巡り合う。かつての恋愛沙汰を振り返りながら自問自答を繰り返す場面での独白が鋭い。冷徹な人生観、中年男の倦怠、人生をどうしきり直すのかなどが率直に論じてあって味がある。

それから熱が入ってきて2003年と2008年の夏をサンクト・ペテルブルグで過ごした。2度目の短期滞在の時にはCDからMP3の時代に移りつつあった。この時「イオーヌィチ」を買ったのはオーディオ本のカバーがとても印象的だったからだ。医師だったチェーホフ自身を思わせる青年医師イオーヌィチが若い娘に恋をする。ノートに書かれた娘の返事は「今夜会いたい」だった。心ときめかせたイオーヌィチは指定された墓地に向かう。とても印象的な作品だ。

チェーホフは1890年、30歳の時に「サハリン島」という紀行を書いた。その後大きく作風を変えた転機と言われている。「気まぐれ女」(1892年)、「かもめ」(1895年)、「恋について」、「イオニッチ」(1898年)、「犬を連れた奥さん」(1899年)などの佳作を残している。4大戯曲と言われる「桜の園」、「かもめ」、「三姉妹」、「ワーニャ叔父さん」も面白い。この人が晩年になってたくさんの戯曲を書いたのは、小説の文名が上がってからも、出版社との前借契約に縛られてさほどの収入にならなかったので、仕方なく戯曲を書いてからだという話が面白い。この人は作家としてのキャリアの始まりが金に困っていたからで、晩年になっていくつもの名作戯曲を書いたのも同じ理由だということになる。何が幸いするかはわからない。2012年の夏にタガンログを訪れた時に撮影した写真がある。




2016年6月8日水曜日

新美南吉 「手袋を買いに」

新美南吉という人の童話を初めて読んだのは中学校の現代国語の教科書だった。「牛をつないだ椿の木」という物語が印象に残ったので童話集を読んでいる。狐の子が人間の住む世界まで手袋を買いに行く「手袋を買いに」を書いた新美さんはこの不思議な花のことを知っていたのだろうか? 狐の手袋(fox glove) は英国で庭の花として人気がある花だ。ジギタリスという指を意味する別名もある。昨年の秋まで住んでいたロンドンの近所でも散歩の公園でもあちこちで咲いていた。夏の風物詩である。この優美な花は薬草にもなるが、猛毒でもある。

この童話を絵本で読んだ人も多い。物語としては今では教科書に採用されなくなったそうだ。人里離れた森に棲む狐の親子の設定は個人と社会のほどほどの距離感を感じさせるしみじみした物語だ。渡る世間に気を付けなければならないことをやんわりと教えてくれる物語でもある。それが「子狐を危険にさらした母親はけしからん」という面だけを捉えた批判につながってしまうのは寂しい話だ。今では近所のコンビニやら郊外の大型スーパーやらで便利に買い物ができる時代だが、わたしが子供の頃には町までてくてく歩いて買い物に行ったものだ。子供たちがお使いを頼まれるというのは日常的な風景だったと思う。

http://youtu.be/OnBE6bPdgAE

 

2016年4月30日土曜日

田中冬二 「つつじの花」

今年もまたつつじの季節になった。田中冬二という詩人の「つつじの花」という作品を思い出す季節でもある。田中冬二全集全3巻は京都に遊びに行った時に河原町の古書店で買ったものだ。同じ書店で井上靖「私の西域紀行」上・下巻、長沢和俊「シルクロード文化史」I・II巻も買っている。タシケントに赴任する前の一時帰国で中央アジア本を探していた。その時たまたま田中冬二の全集を見つけた。中学校の国語の教科書で読んで以来で懐かしかった。

「若葉した山の処々に
火のように燃えているつつじの花
麦の穂も出揃った
あかるい縁側で蜂蜜の壜に
レッテルを貼っていた
紫雲英の花の蜜であった
家の中で時計が十一時を打った」

2015年の4月にロンドンで観たイザベラ植物園のつつじが記憶に残っている。ロンドン西部にある広大なリッチモンド公園の中に森がある。外からは見えないような形の小さな渓谷全体がつつじに覆われていた。その風景を見て以来、何かが変わったような気がしている。4月の末からほぼひと月ほど数日ごとにその場所でつつじの群生の変化を眺めていた。こんなに美しいもののそばにいながらそれまで見たことのなかった自分の生活が少し変だと思った。死ぬ前に見たいものはまだたくさんあるはずだという気がした。1991年の1月に日本を離れてから四半世紀に及んだ海外生活に区切りをつけるタイミングを調整していた。その年の秋に日本に戻ることにした。

年が明けて2016年の4月は西鎌倉の母を送る月となった。庭に咲いていたつつじを手向けの花としたので、来年からは母を思い出す花になる。季節の花を庭で育てて居間から眺めるのが好きだった母は、自分で育てた色とりどりのつつじに囲まれて彼岸へと旅立った。49日の法要の後で成仏となるのだそうだ。ご縁が出来てから30年は遠方で暮らすことが多かったが、本当にお世話になった。合掌。



2016年4月1日金曜日

プーシキンの詩 アンナ・ケルンに

2003年の1月に職場の関係者大勢でモスクワに集まる用事があった。出発直前にタシケントの雪中ゴルフで背筋を痛めて大騒ぎしたのでこの旅のことは覚えている。寒気の中で十分に身体をほぐすこともなくクラブを振っていた。いくつめかのホールのティーショットで強振した途端に、引っ張られた背筋が元に戻らなくなった。なんとか帰宅し、大慌てで整体の先生に施術していただいた。とりあえず痛みは治まり、ロシアへの出張になんとか間に合った。

仕事が終わって同僚たちと訪れたミュージアムの入り口で、プーシキンの歌曲のCDを売っていたので記念に買ってみた。一曲目のピアノのメロディが気に入り、何の歌なのか知りたいと思った。ロシアのロマンスの訳にしばらく熱中することになるきっかけだった。プーシキン詩集は金子幸彦訳が岩波文庫にある。詩文として訳すのか、解釈文として訳すのかいろいろやり方がありそうだ。私なりの訳も試みてみた。

Я помню чудное мгновенье      あなたが奇跡のように
Передо мной явилась ты,        私の目の前に現れたのを覚えている

Как мимолётное виденье,       一瞬の幻のようであり
Как гений чистой красоты.       美の精霊のようでもあり

В томленьях грусти безнадежной    望みもなく打ちひしがれた
В тревогах шумной суеты,        煩わしいだけの日々の中でも
Звучал мне долго голос нежный     優しい声が聞こえた
И снились милые черты.         愛らしい面影を夢に見た

Шли годы. Бурь, порыв мятежный    幾年が過ぎ 激しい嵐に
Рассеял прежние мечты,         昔の夢は消えてしまった
И я забыл твой голос нежный,      優しい声も忘れていた
Твои небесные черты.          その面影も忘れていた

В глуши, во мраке заточенья      孤独な闇の中に囚われ
Тянулись тихо дни мои         日々は静かに過ぎた
Без божества, без вдохновенья,     祈りもなく 霊感も消え
Без слез, без жизни, без любви.     涙も 命のきらめきも 愛もなく

Душе настало пробужденье:     あなた
が再び現れて
И вот опять явилась ты,         
わたしの魂は目覚めた
Как мимолетное виденье,       一瞬の幻なのか
Как гений чистой красоты.        美の精霊なのか

И сердце бьется в упоенье,       心は喜びで波打ち
И для него воскресли вновь        祈りも 霊感も
И божество, и вдохновенье,       命の煌めきも 涙も 愛も
И жизнь, и слезы, и любовь.        私の心によみがえった


2016年3月26日土曜日

歌人吉井勇 沈丁花と馬酔木

わたしの郷里である越後長岡から旧制長岡中学を終えた堀口大學先輩が上京したのは1909年のことだ。堀口先輩はこの上京の列車の中で吉井勇の歌を読んで心酔し、その秋に新詩社に参加する。浪漫派の歌人吉井勇は詩人堀口大學の誕生に影響を与えたということになる。

明治19年(1886年)に東京で生まれた歌人吉井勇は、19歳の時に肋膜を病み鎌倉で療養のために夏を過ごした。年譜によると与謝野寛に手紙を書いて新詩社に参加したのもこの頃だ。明治42年(1909年)には雑誌「スバル」が創刊され、編集に参加した。その後も鎌倉長谷に住んだりした。それで歌集をめくるとあちこちに
七里が浜や鶴岡八幡宮など鎌倉を舞台にした歌が出てくる。

代表作である「酒ほがい」という歌集の中に「その夜半の十二時に会ふことなどを誓えど君のうすなさけなる」という歌があります。中央アジアで働いていた頃に読んだチェーホフの小説を連想しました。早逝したこのロシアの作家は晩年に印象的な作品を残しています。小説「イオーヌイチ」の中で重要な役割を果たす出来事がこの吉井勇の歌そのままなのが面白い。

鎌倉の古寺をめぐりながら散歩すると沈丁花や馬酔木をよく見かける。歌集の中にも出てくる。

「沈丁花にほふ夕やしくしくと胸ぬち痛むものあるごとし」

「この夜また身に染むことを君に聴く沈丁花にも似たるたをやめ」

「うたがひもほのかに胸に来るときは沈丁花など嗅ぐここちする」

「萬葉の相聞の歌くちずさみ馬酔木の花はみるべかりけり」

「萬葉のむかしを思ふこころもて馬酔木の花の咲くころに来む」

「寂しければ垣に馬酔木を植ゑにけり捨て酒あらばここに灌がむ」