6月15日号の週刊新潮の書評で川本三郎という評論家がロシアの作家ソログープの「かくれんぼ・毒の園」(岩波文庫、中山省三郎、昇曙夢訳)を紹介していた。文庫に収められた7つの短編のうちの「毒の園」を「耽美妖麗な逸品」と激賞している。学生が花園のある隣の家にすむ美しい娘に恋をするが、その娘には大変な秘密があって。。。という紹介文を読んで妙な気持ちになった。どこかで聞いた話のような気がする。ウェブサイトで調べてみるとソログープが1908年に発表した「毒の園」は、アメリカの作家ナサニエル・ホーソーンが1844年に発表した「ラパチーニの娘」を下敷きにしたものであることがわかった。竹田円という研究者が2008年に発表した論文にはこの二つの小説の共通点がまとめてある。
数年前に買ったアメリカ短編小説選というCDの中に「ラパチーニの娘」が収められている。阿野文朗訳の「ラパチーニの娘 ナサニエル・ホーソーン短編集」(松柏社)と岩波文庫に収められているソログープの「毒の園」を読み比べてみた。毒草園というと物騒な響きだが、薬草を研究している学者の家の庭に毒のある美しい花が咲いているのは自然な設定だ。この物語の悲劇はこの薬草園で育った美しい娘がいつの間にか毒草に対する耐性を身に着けてしまったことだ。これは悲劇とも言いきれない。この娘が毒草に対して抵抗力を持っていなければ彼女はとっくに死んでいたのだろう。彼女は長い期間にわたる毒草との接触により、毒を蓄えた身体を持って生きることになる。
以上の部分と、この毒草園のある家の隣に越してきた若者が、美しい娘に恋をしてしまうところまでは二つの小説はほぼ共通している。違っているのは美しい娘が毒に染まった怖ろしい存在であることを若者が知ってしまってからの話の結末だ。19世紀中頃に書かれた「ラパチーニの娘」では、娘が毒に染まっていることを知った若者はまずショックを受ける。気の毒に思った若者は解毒薬で娘を元の身体に戻そうとする。これが劇薬となって娘は死に至る。
20世紀の中頃に書かれた「毒の園」の若者は全く別の行動を取る。美しい娘に恋をして、その身の上を哀れに思った若者は娘と一緒に死んでしまうことを望む。若者は叫ぶ。「私の渇望は刹那の出来心ではないのです!.....あなたのやさしい足下に死ぬのが私の本望なのです!」この文句を書きたいばかりにソログープは、ホーソーンの小説の変化形を書いたのかも知れない。