2015年12月28日月曜日

内田義雄 「えつ子 世界を魅了した「武士の娘」の生涯」 に登場する長岡の先人たち

長岡出身の世界的なベストセラー作家である杉本えつ子女史についてのTV番組の中に登場した内田義雄という著者のことが気になったので、ネットで検索して買った本。同女史の父である長岡藩の筆頭家老稲垣平助が幕末の越後長岡の英傑であった河井継之助により、その地位を追われた辺りについての記述が面白い。地元の郷土史研究者へのインタビューなどを丹念に積み重ねた労作のようだ。

河井継之助と言えばわたしの母校である県立長岡高校の校歌にも「かの蒼龍が志を受けて 忍苦まさに幾星霜」と謳われている。その後、司馬遼太郎の「峠」を読み、「台湾紀行」の後書きを読んでますます河井継之助のことを郷土の先人として尊敬してきた。長岡の先人としては他にも山本有三の「米百俵」に出てくる小林病翁(虎三郎)などもいる。稲垣平助を含むこれら幕末長岡の先人たちの関係が良く整理されていて目から鱗だった。北越戊辰戦争で長岡を焦土にした事態を招いた責任者として、人々の怨嗟の的でもあった河井継之助が、その後に名誉回復を果たしたくだりが興味深い。


2015年12月12日土曜日

村上春樹 「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」

去年の暮れに帰省した時に買って積んだままだった「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」を読み終えた。「風の歌を聴け」以来、「羊をめぐる冒険」、「ノルウェイの森」、「国境の南、太陽の西」あたりまでは新作を楽しみにしていた。熱いファン時代を20数年すごしてから少し冷静になった。その後の話題作は、書店で手にとってチェックしても、買わないこともあった。過去の作品世界以上のものに出会えると思えなかったからだと思う。そのくらい村上春樹は気になる人だ。

去年くらいから3冊ほど読んだのは他の人との話の中に出てきたから。「1Q84」はいつもはミステリーや犯罪捜査物しか読まないつれあいが読んでいたので、何ごとが起きているのかと興味を持った。この作品は面白かった。ダブル主演ともいうべきメインのキャラクターの両方が魅力的で、「1人の主人公が2つの世界を行き来する」村上作品のパターンを越えた感じがした。「海辺のカフカ」はFB友だちのRさんの「この作品をどう思うか?」という質問がきっかけだった。この作品を読んだ後で、今年の秋の宮沢りえ主演の蜷川版「海辺のカフカ」ロンドン公演を観る機会があった。原作と舞台を比較することが出来たのは貴重な経験だった。

今回「巡礼の年」を読んだのは今年になってから高校同窓のOさんに2度ほど強く勧められたのが理由だった。とても面白かったが、複雑な気持ちになった。登場する人物たちが、それぞれに過去の作品の登場人物を思い出させる部分があって、同窓会みたいな感じがした。
わたしは村上春樹の初期3部作に強い思い入れがある。村上春樹が若い時に書いた作品の世界をふくらませて、年を重ねて様々な変奏の試みを行っていることはとても興味深いし、どの作品も面白い。


主人公の「つくる」は学生時代の仲良し5人組から突然、理由も知らされないまま「排除」された経験を持つ30代の青年だ。この喪失の痛みと排除される哀しみは「ノルウェイの森」で仲良し3人組の一人だった主人公が、まずその一人である友人が自殺することを経験し、残されたメンバーの片割れである直子にも同じように向こう側に去られてしまう部分と共通している。この喪失感は「国境の南 太陽の西」で、小学生だった頃に島本さんとの幸福な時間を共有していた主人公が、彼女の引っ越しの後で経験した感情ともよく似ている。「巡礼の年」が「ノルウェイの森」と「国境の南 太陽の西」の変奏曲だとすれば、面白くないはずがない。

「巡礼の年」というタイトルが凄い。この物語は16年前に自分が遭遇した事態におびえ、おそらくは自分を守る最小限の方法としてその記憶を封印して生きてきた主人公が、いったい何が起きたのかについて知るべきだと決意し、「地獄めぐり」をする話とも言える。その意味では謎解き小説の形にもなっている。面白いのは、長いあいだ避けてきた過去と向き合う作業の必要性について主人公を説得するのが、ようやく主人公が心を開いてつき合えそうだと感じる新しい女友だちであることだ。この「巡礼の年」の「沙羅」が主人公に語りかける台詞のいくつかは「ノルウェイの森」の「みどり」をそのまま連想させる。彼女たちはそれぞれの主人公にとっては再生の希望を象徴する存在だが、「地獄」を経験した主人公たちをそのまま受け入れるのではなくて、彼らに自らの過去と向き合うことを要求し、きちんとした選択を迫るところが共通だ。

主人公が「巡礼」の旅を始めて、最初に知ることになるのが、かつての5人組の中でとても魅力的だった「シロ」というニックネームで呼ばれた女ともだちが、ほとんど不可知な形で「崩壊」していったことだった。このエピソードが「巡礼物語」の根幹をなしているのだが、その「崩壊した可憐な娘」の描写が、「国境の南 太陽の西」の中に出てくる「イズミ」のイメージそのままでびっくりした。

「巡礼」の旅を続けてヘルシンキまで旅した主人公は、とうとう16年前に起きた「排除」事件の全貌を知ることになる。その理由となったある出来事について主人公が知らされなかったことと、それで深く傷ついたことはとても気の毒だ。ところが、そのことについて主たる責めを負うべき人について、主人公がなにやら罪の意識を感じてしまうことがこの小説の最大の主題なのだと思う。何が真実で、何が虚構だったのか?誰が加害者で、誰が被害者だったのか?この最終部分を読んで「海辺のカフカ」でこの小説家が「雨月物語」や「源氏物語」を引用しながら、「夢」と「生霊」について語っていたことを思い出した。


2015年12月4日金曜日

松谷みよ子 文 丸木俊 画 「つつじのむすめ」

ロンドンを離れて帰国した年の春にロンドンのリッチモンド公園の中にあるイザベラ植物園がツツジの名所であることを教えてもらった。4月の末から5月の後半までの一か月ほど何度も通って素晴らしいツツジの写真を撮影した。その時にウェブサイトで長野県上田市に伝わる「つつじの乙女」という民話のことを知った。この話をもとにして松谷みよ子さんが1974年に「つつじのむすめ」という絵本を出版している。原爆の絵で知られる丸木俊さんが絵を描いた。この秋に帰国してからamazon でこの絵本を入手した。乙女の真摯な恋心ということで子供向けの絵本になったのだろう。全国学校図書館協議会選定の「よい絵本」という帯がついている。

ウェブサイトで物語については知っていたが、丸木俊の絵と眺めながら文を読んでみると鬼気迫るものがある。いくつもの山を隔てて住んでいる若者と娘が祭りの晩に出会い、恋をする。若者に会いたい気持ちを抑えられない娘が夜になるといくつもの山々を越えてやってくる。娘のお土産は温かいつきたての餅だった。ある時不審に思った若者が、その餅について問い質すと、娘は手に握ったもち米が体の熱で餅になっただけだと答える。これを聞いて娘が異常な力を持っていることを確信した若者は怖ろしくなった挙句に、娘を谷底に突き落としてしまう。それからこの谷に真っ赤なつつじが咲くようになったという物語だ。

いくつもの山々を越えて夜ごとに訪れる娘の異常な力、つきたての柔らかい餅、真っ赤なつつじ。恋する若者たちの描写が鮮烈だ。やがて怖れをなし、娘が疎ましくなる男心というのもありそうな話だ。「よい絵本」に選定されているくらいだから、直接的な表現はいっさい出てこない。表現されているのはけなげな恋心と、一生懸命さ、恋の成就を願う激しい情熱だけなのに、思わず息を止めてしまいそうなくらいに妖しく美しい絵本になっている。

長野県では上田市以外にも似たような民話が存在しているそうだ。共同体としてのムラ社会でこのような民話が語り継がれる理由は明らかだろう。若者にとっては恋の火遊びがトラブルに発展することの戒めであり、娘たちにとっては男というものが移り気で無責任で、逃げ出すとなったら過ちも犯してしまいかねない弱虫であることの戒めだ。「一時の熱情に惑わされず、親の決めた伝統的な結びつきが良い」という説話なのだろう。

イザベラ植物園のツツジの美しさに感動した時に、田中冬二のツツジの詩や、新潟県の佐渡情話を連想したことにも関連して、この物語についてブログを書いている。この絵本を読んでもう一度ブログを書こうと思ったのは、この絵本の12ページにある絵を見て、新しい連想が生まれたからだ。この絵が何かに似ていると思ったら、「日高川」の清姫の図と共通していることに気が付いた。恋する気持ちの激しさというのは古今普遍のテーマである。




井上靖 「詩集 乾河道」

藤沢有隣堂5階の古書セクションで、井上靖の「詩集 乾河道」を見つけた。500円玉一枚で買えてしまった。「テッセン」という詩がある。植物に詳しいFB仲間のTさんに鉄線とクレマチスの関係について教えてもらったことがある。中国経由か、欧州経由かの違いはありそうだが海を渡って来た花であることは間違いない。

「テトラポッド」という詩も面白い。「合流点」という詩にはキルギス共和国のイシククル湖が出てくる。1990年代からこの国には仕事で行く機会があり、3年間の駐在勤務も経験したので思い入れのある国だ。「もしもここで」という詩にはゴビ砂漠が出てくる。最近ウランバートル在住のFB仲間のAさんが投稿してくれた写真そのままの世界だ。

井上靖は8冊の詩集を出しているが、このうち3冊のハードカバーが手元にある。なんだかうれしい。

    『北国』(昭和33年 東京創元社)
  『地中海』(昭和37年 新潮社)
  『運河』(昭和42年 筑摩書房)
  『季節』(昭和46年  講談社)
  『遠征路』(昭和51年 集英社)
  『乾河道(かんがどう)』(昭和59年 集英社)
  『傍観者』(昭和63年 集英社)
  『星蘭干』(平成2年  集英社)

2015年11月26日木曜日

開高健記念館 で手にした本 「最強のふたり 佐治敬三と開高健」

茅ヶ崎の開高健記念館に行ってみた。東海道線の沿線に住んでいるのでふっと行きたくなった。「ベトナム戦記点」展をやっていた。この写真展が充実していたので足を運んだ甲斐があった。

もう一つの収穫は、この記念館で北康利著「最強のふたり 佐治敬三と開高健」を手にしたことだった。ほとんどの書評では、この本はビジネス書として扱われている。第一章と第二章はサントリー会長として1999年に亡くなった佐治敬三氏についてであり、他の章では佐治氏と小説家の交流が描かれている。小説家開高健が1989年に亡くなってから幾冊もの優れた評伝が書かれている。わたしにとっては谷沢永一著「回想 開高健」、菊谷匡祐著「開高健のいる風景」の2冊の印象がとりわけ深い。今さら目新しい開高健伝が書かれて、新しく世の中に出てくるような情報が出てくるというのは開高ファンとしては予想していなかった。

ところがこの北康利による新しい評伝にはこれまで読んだことのない話がいくつも登場する。第四章の「夏の闇」のヒロインのモデルになったとされる女性についての記述が凄い。これまでも菊谷氏による「開高健のいる風景」や編集者だった細川布久子氏の「わたしの開高健」などを読むとおぼろげに見えていた話が、この本の中で克明に記述されている。

第五章で開高健の学生時代からの盟友ともいうべき評論家谷沢永一と、開高夫人である牧羊子の関係についての記述も鋭い。この二人の中が険悪であることは谷沢氏の「回想 開高健」を読めば明らかだが、それは当事者の一方による言い分でもあり、また谷沢永一が開高健を盟友として愛する気持ちのあまり筆が走ったとも想像されるので、どこまでが客観的な話なのかと感じる部分もあった。この点について北康利の分析は冷静で説得力がある。

もう一つ第五章に出てくる話も興味深い。開高健の娘さんの学生時代にバイオリンを教えて、小説家の死後一年後にみずからの命を絶った女性についての記述は初めて読んだ。開高健の最高傑作となった「闇三部作」に出てくる女性像が必ずしも「夏の闇」のモデルとなった人だけではなかったという説を裏付けることになる。

この本のあとがきで著者は「最初は「佐治敬三伝」を書くつもりだった。」と書いている。そのための取材の中で開高健についての情報を入手してしまったので書かざるを得なかったのだろう。開高ファンにとっては必読の本となった。ありがたい。





















 








 



ナサニエル・ホーソーン「若いグッドマン・ブラウン」 29年ぶりの再会

生まれて初めて飛行機に乗って太平洋を横切ったのは1986年の夏だ。あれから29年になる。3年がかりで海外留学の準備をして、なんとか会社の派遣制度に合格した時は嬉しかった。大学院は秋から始まるのに、夏から派遣されたのには理由がある。会社としてもリクルート対策やら何やらで社員を派遣する以上は何とか落第せずに無事に大学院の課程を修了してもらいたい。ところが帰国子女でもない限り、仕事のかたわらでTOEFL、GRE、GMATなどの留学準備はなんとか間に合わせたとしても、自由に討論し、意のままに文章が書けるというレベルには程遠い。それで企業派遣留学の場合、大学院の始まる前に語学研修を受けることになっていた。今はどうかは知らない。

英語研修は6月からの8週間だった。研修地を選ぶことができたので米国東海岸のニューヘイブンにあるイェール大学の夏季講座を選んだ。秋からはフィラデルフィアなので、まったく同じ場所だとつまらないが東海岸の雰囲気に慣れておきたかった。夏の間にニューヨークにも時々は行きたいと思っていた。この英語研修プログラムはよく出来ていた。毎回作文を提出する授業と、時事ニュースなどを読みながらの会話の授業、課題図書を読んで感想を議論する授業があり、各授業ごとにレベル別のクラス編成だった。かなりの量の宿題が出た。こちらも秋以降のサバイバルが心配だったので、夜は図書館で身を入れて予習をした。

その時の課題図書の一冊がナサニエル・ホーソーンの「若いグッドマン・ブラウン」だ。読んでから授業に出たはずだが、どこが面白いのかピンとこなかった。これは必ずしも英語力の問題ではないと思う。同じ授業で使われた「グレイト・ギャツビー」は一行、一行真剣に読んだのですっかりスコット・フィツジェラルドが好きになった。海外の小説を原語で読むのがいつも良いというわけではない。優れた翻訳がある場合には速度についても、印象の強さについても圧倒的に有利なことが多い。さらに言えば世界には他の言語もたくさんあるから、すべてを原語で読むなんてことは不可能だ。ただし辞書を引きながら原文をゆっくり読む経験は無駄にはならない。好きな作品にぶつかった場合などはとても貴重な経験をすることになる。

「若いグッドマン・ブラウン」がずーと心に残っていたのは理由がある。同じクラスにYさんというとても素敵な人がいた。建築の勉強をしているご主人に同行して、ニューヘイブンに住んでいる女性だった。先生が「さて、この物語を読んでどんなことを感じましたか?」という質問で始まった議論の最後に、Yさんが手を挙げた。「この物語は、若者の通過儀礼(initiation) がテーマになっていると思います。」  わたしを含む10数人の他の生徒はポカンとしていた。先生は「自分がその教材を選んだ気持ちを理解できる生徒がいてくれて嬉しい」と言わんばかりの満面の笑みでYさんの発言に耳を傾けていた。

58歳になった自分がホーソーンの短編集を再び手にしたのは、ロシアの小説家がホーソーンの「ラパチーニの娘」という短編を基にして、「毒の園」という小説を書いたという記事を読んで、どう違うのか調べてみたいと思ったからだった。面白かったのでこの比較についてはブログを書いた。この短編集で「若いグッドマン・ブラウン」を読み、「僕の親戚モリノー少佐」を読むとこの小説家が「通過儀礼」というテーマに興味を持っていたことが良く理解できる。1986年の夏のYさんのことを思い出した。今も元気だろうか。

さらに「ブルフロッグ夫人」、「痣」、「ウェイクフィールド」を読むと、この小説家が自分と他者との関わりに強い関心を持っていたことが明らかだ。「ラパチーニの娘」という薬草園に住む美女に若者が恋をする話もその延長線上にある。この小説は怪奇小説として分類されているが、他者との関係性についての考察をした小説と読むのが本筋だろう。その点では「痣」という作品とも共通している。薬草園のある屋敷で美女は静かに暮らしていた。その薬草成分がこの美女の身体にしみ込んでしまう。それはそれで自然なことで特段の不都合はなかった。ところが隣りに越してきた若者と恋に落ちた途端に、この薬草成分が他者にとっては猛毒であることが問題となる。毒のある美しい花、棘のある美しい花は人間関係にとっても深い示唆を含むテーマであるような気がする。

ツクバトリカブト

狐の手袋(ジギタリス)

2015年11月23日月曜日

ホーソーン「ラパチーニの娘」とソログープ「毒の園」

615日号の週刊新潮の書評で川本三郎という評論家がロシアの作家ソログープの「かくれんぼ・毒の園」(岩波文庫、中山省三郎、昇曙夢訳)を紹介していた。文庫に収められた7つの短編のうちの「毒の園」を「耽美妖麗な逸品」と激賞している。学生が花園のある隣の家にすむ美しい娘に恋をするが、その娘には大変な秘密があって。。。という紹介文を読んで妙な気持ちになった。どこかで聞いた話のような気がしたからだ。ウェブサイトで調べてみるとソログープが1908年に発表した「毒の園」は、アメリカの作家ナサニエル・ホーソーンが1844年に発表した「ラパチーニの娘」を下敷きにしたものであることが既に明らかにされていた。竹田円という研究者が2008年に発表した論文でこの二つの小説の共通点がまとめてある。

数年前に買ったアメリカ短編小説選というCDの中に「ラパチーニの娘」が収められている。細かいところは忘れているので、阿野文朗訳の「ラパチーニの娘 ナサニエル・ホーソーン短編集」(松柏社)と岩波文庫に収められているソログープの「毒の園」を読み比べてみた。毒草園というと物騒な響きだが、薬草を研究している学者の家の庭に毒のある美しい花が咲いているのは自然な設定だ。この物語の悲劇はこの薬草園で育った美しい娘がいつの間にか毒草に対する耐性を身に着けてしまったことだ。これは悲劇とも言いきれない。この娘が特殊な体質のせいか毒草に対して抵抗力を持っていなければ彼女はとっくに死んでいただけのことだ。彼女は長い期間にわたる毒草との接触により、毒を蓄えた身体を持って生きることになる。

以上の部分と、この毒草園のある家の隣に越してきた若者が、美しい娘に恋をしてしまうところまでは二つの小説はほぼ共通だ。違っているのは美しい娘が毒に染まった怖ろしい存在であることを知ってしまった以後の若者の態度と、それぞれの話の結末だ。19世紀中頃に書かれた「ラパチーニの娘」では、娘が毒に染まっていることを知った若者はまず激怒するが、娘の話を聞いたあとでは気の毒に思い、解毒薬で娘を元の身体に戻そうとする。これが娘にとっては劇薬となり、娘は死に至る。

20世紀の中頃に書かれた「毒の園」の若者は全く別の行動を取る。美しい娘に恋をして、その身の上を哀れに思った若者は娘と一緒に死んでしまうことを望む。若者は叫ぶ。「私の渇望は刹那の出来心ではないのです!歓楽と恋の楽しい焔の中に焼かれて、あなたのやさしい足下に死ぬのが私の本望なのです!」この文句を書きたいばかりにソログープはほとんど同じ設定を使いながら、ホーソーンの小説の変化形を書いたのだろう。面白い。

2015年10月25日日曜日

村上春樹「職業としての小説家」

「職業としての小説家」読了。12回の構成となっている自伝的エッセイ。第6回の「時間を味方につけるー長編小説を書くこと」は一日10枚のペースで書き続けた第一稿を、どうやって書き直し、完成稿に仕上げていくかの話。具体的なノウハウが公開されていて面白い。

第11回の「海外へ出て行く。新しいフロンティア」には、ムラカミ作品の英訳が雑誌「ニューヨーカー」に定期的に掲載されるようになるまでの努力と経緯が描かれている。こんなことを実行した日本の小説家は、他にいないだろうから、他の作家が海外での売り上げでこの人に敵わないのも無理はない。村上春樹が英語圏市場に興味を持つようになったきっかけが、反骨心であったことも明らかにされている。「「村上春樹の書くものは所詮、外国文学の焼き直しであって、そんなものはせいぜい日本国内でしか通用しない」というようなこともよく言われました。。。(中略)。。。「そう言うのなら、僕の作品が外国で通用するかしない、ひとつ試してみようじゃないか」という挑戦的な思いは、正直言ってなくはありませんでした。」

第12回の「物語のあるところ・河合隼雄先生の思い出」には、「風の歌を聴け」で鮮烈なデビューを飾って以来、芥川選考委員たちを含む既成の作家たちや、評論家たちから軽視されたことでかなり傷ついていたこの小説家が分野は異なるが「日本の大家」である河合先生に共感され理解された経験が書かれている。以下はこの回からの抜粋。「我々は何を共有していたか?ひとことで言えば、おそらく物語というコンセプトだったと思います。物語というのはつまり人の魂の奥底にあるものです。人の魂の奥底にあるべきものです。それは魂のいちばん深いところにあるからこそ、人と人とを根元でつなぎ合わせられるものなのです。」

この他にも英語のペーパーバックをたくさん読んでいた話や、デビュー作を書こうと思い立った時に、書き出しの部分を英語で書いてみて新しい文体を模索した話なども面白いが、上記の3回分だけでも素晴らしい。

2015年10月15日木曜日

テニスン「シャロット姫」とJ.W. ウォーターハウスの絵

鏡の物語というのは世界中に存在している。グリム童話で白雪姫に嫉妬する継母の話は有名だ。ロシアの詩人マリーナ・ツヴェタエヴァにも鏡の世界をテーマにした詩がある。ロシア映画「運命の皮肉」(リャザノフ監督、1975年)の中で、全盛期のアラ・ブガチョヴァが吹き替えで歌っている。「くもった鏡を覗いて 靄のかかった夢の中から探りあてたい あなたの道はどこへ続くのか あなたはどこへ錨を下ろすのか」。荒井由美が70年代前半に彗星のようにデビューしてすぐのアルバムの中に「魔法の鏡」という歌が入っていた。「魔法の鏡を持ってたら あなたの暮らし映してみたい」。 大川栄策が歌った「さざんかの宿」も窓ガラス越しの世界を見ようとしているのは共通している。「くもり硝子を手でふいて あなた明日が見えますか」。

ロンドンを離れる前にテート・ブリテンを訪ねてきた。1987年にロンドンを初めて訪れた時以来、このギャラリーのラファエル前派の部屋は気に入っている場所だ。ダンテ・ガブリエル・ロセッティ、バーン・ジョーンズなどどれも素晴らしいが、ウォーターハウスの「シャロット姫 The Lady of Shalott」も気になる絵だ。この絵は有名なので何度も観ているが、そのテーマとなっているテニソンの詩を読んだことがなかったので、岩波文庫「対訳 テニスン詩集」で調べてみた。シャロット姫はアーサー王伝説のキャメロット城が見える川の中洲に建つ塔の上に住んでいる。この姫君は彩りあざやかな織物を織っている。

シャロット姫の織物作りには秘密がある。高い塔の部屋には大きな鏡がかかっている。この鏡に映る世の中を眺めながらそれを織物の柄にするのがこの姫の仕事だ。客観的には塔の一室に幽閉されているにも関わらず、この姫君は主観的には世界全体を眺める立場にあって、それを解釈し、それを織物の柄として表現する行為を通じて満ち足りた幸福の世界に住んでいる。姫君には守るべき掟がある。塔の外の世界を、直接に見ることが許されないことだ。そのような静かな幸福の世界に住んでいた姫君は、次第に鏡を通じて眺める世界に飽きてしまう。倦怠と不満はアーサー王伝説の騎士ラーンスロットを見た時に頂点に達し、姫君は掟を破って雄々しい騎士を自分の目で直視してしまう。その途端に魔法の鏡は砕け散る。恋心と好奇心のために自らの塔の世界を失った姫君は、小船に乗ってあてもなく漂流していく。魔法の後ろ盾を失った死出の旅だ。

神話や物語をテーマにした絵を描いたウォーターハウスには「ヒュラスとニンフたち」、「エコーとナルキッソス」、「オデュッセウスに盃を差し出すキルケ」、「嫉妬に燃えるキルケ」、「燃え上がる6月」などの傑作がある。どれも私自身のロンドンの生活の記憶や読んだ本と結びついている懐かしい絵ばかりだ。これらの絵の多くが水面に関係していることと、その水面には睡蓮が描かれていることが興味深い。テニスンの詩「シャロット姫」にも睡蓮が登場している。


2015年10月12日月曜日

C.ダグラス・スミス 「憲法は政府に対する命令である」(平凡社ライブラリー)

学生生活を終えて実社会に出て36年になる。法学部の学生であったこととはあまり縁のない道を歩いてきたので、芦部先生のゼミに在籍していたことも遠い日の幻のような記憶だ。昨年の解釈改憲に始まった一連の議論がメディアを賑わすようになって以来、びっくりすることが多くなったので、否応なしに当時の大教室で習った憲法の講義の内容について考えるようになった。そうして様々な昨今の論説を読んでみると、自分の学生時代に常識だったはずのことが根底から覆るような議論が飛び交っていることで呆然とする。

正直に言うと反対してよいものやら、賛成してよいものやら分からなくなった。戦後のアメリカの憲法学の理論を日本に紹介されていた芦部先生から学んだことで今でも記憶しているのは「適正手続き(due process)」を尊重すべしとする考え方と、基本的な価値を否定する勢力に対して無力であってはいけないという「戦う民主主義」という概念だ。そういう基本を抑えた上で一つ一つの事がらについて丁寧な議論を経て解決の道を探っていくことしかできないような気がしている。メディアで飛び交っているのは賛成する側でも、反対する側でも結論ありきで、詳細についての詰めのない議論が多い。どちらの側にもあまり説得力を感じない。

そういう気持ちでいる時に出会った本だ。この本の著者を知ったのは去年の7月に平凡社の中学生の質問箱シリーズ「戦争するってどんなこと?」を高校同窓のI氏が推薦してくれたのがきっかけだった。哲学専攻で読書家のこの若い友人からは学ぶところが多かったので、この人がFBを離脱した時は残念だったが仕方がない。昨夏の中学生向けの本を読んで歯切れの良い問題設定の仕方に感心した。今週帰国して、書店に行って平凡社ライブラリーに入っているこの本を手に取ってみた。去年の本よりももっとわかり易い形で論点が整理されている。第四章「日本国憲法は、誰が誰に押しつけた憲法なのか」には脱帽した。この本の241頁から数頁にまとめられている「付録 憲法・安保・沖縄」には、昨年来の「どうやって国や人々を守るのか」という議論が2度にわたった大きな論争をまき起こしながら、結局うやむやになってしまう理由が明示されている。賛成する人も、反対する人も一度は読んでほしい気がする。



2015年10月7日水曜日

中原清一郎 「カノン」

帰省していた時に何気なくブックオフを覗いていてこの本を見つけた。本の帯に「「北帰行」から37年 - 外岡秀俊が沈黙を破る」とあったので思わず買ってしまった。小林旭が歌った「北帰行」という歌があるが、外岡氏の処女作は北海道出身の学生だった著者が在学中に書いて文藝賞をもらったので当時話題になった本だ。1976年のことだからわたしは大学2年生だった。この人は翌年には新聞社に就職してしまい、小説家としての活動は長らく休止していた。新聞記者としては出世したらしい。退職後もジャーナリストとして福島原発の事故のレポートなどを書いていたのを読んだことがある。その人が沈黙を破って小説を書いたとなれば読まずにはいられない。

心の本体としての人間の記憶と、その容器としての肉体の分離をテーマにした小説だ。記憶を失う難病にかかった若い母親と、脳はしっかりしているが末期がんで死んでいく58歳の男がいる。このままでは二人とも死んでしまうだけだ。それぞれの健康な部分を足し合わせて新しい人間を作った場合に何が起きるだろうかという筋書きは面白いのだが、それだけだと370頁は長い感じがした。記憶を司る海馬の移植手術という題材を使ってはいるが医療ドラマという訳でもない。物語の中心になるのは死を宣告されていた58歳の男が、突然現代医学の恩恵により海馬の移植手術を受けて、若い女性の肉体の中に生まれ変わる話と言った方がわかりやすい。男性から女性への、初老からまだ若い人への移行に伴うアイデンティティの混乱を描いている部分は面白い。

海馬移植手術の当事者である二人の他にも、アルツハイマーが始まっている女性の母親などを登場させ、老いていく肉体にとって、消えてゆきつつある若い日の恋の記憶がどういう意味をもつのかを書いている部分も面白い。この本は著者自身の介護経験からヒントを得て書かれた作品ということだが、いくつも挿入されている記憶をめぐる話は著者自身のものだろうかと思わせる。沼野充義氏が中日新聞の書評で「稀有の小説」と絶賛していたそうだ。二人の人間の間で記憶が交換されるというしかけについては、話がやや冗長になった気がするが、薄らいでいく記憶、朽ちていく記憶に対する深い想いを書いている点でしみじみした読後感が残る。

この本を読んでしばらくしてからとても興味深いTV番組を観た。心臓移植を経験した人たちの性格や嗜好が変わったり、心臓提供者の好きな音楽の記憶が心臓を提供された人に伝わったりした例がいくつも紹介されていた。現時点では医学界の多数説になるには至っていないそうだが、記憶を司る神経が脳の海馬にだけ存在するのではなく、心臓の周りにも存在するという学説が紹介されていた。心臓にも記憶を司る神経があるとすれば「カノン」の物語はすっきりする。移植後、人格が完全に変わるのではなく、身体の中にも人格・記憶を司るものが存在しているので、移植後はまず2つの人格の併存状態となり、その後に融合してひとつの新しい人格が形成されるか、あるいはそれに失敗した場合は拒否反応が起きて移植失敗につながることになるというのが「カノン」の仮説だった。なるほどと納得。

2015年9月21日月曜日

夏目漱石「カーライル博物館」 チェルシーにある博物館を訪れた

チェルシーはテムズ川の北岸にあり、ロンドンの繁華街ケンジントンやナイツブリッジにも歩いて行けるお洒落な街だ。2011年の暮れに2回目のロンドン勤務を始めた時に地下鉄スローン・スクウェア駅やキングス通りの近くの短期滞在用フラットに2か月ほど住んだ。その時に行きそびれていたカーライル博物館を訪ねてみた。1901年から1902年までロンドンに留学していた夏目漱石がこの博物館を友人で味の素を発明した科学者として知られている池田菊苗博士と共に訪れたことを随筆に書いている。青空文庫に入っているので簡単に読むことができる。

「カーライルの家」というナショナル・トラスト作成のパンフレットを売っていた。1795年生まれのトマス・カーライルは19世紀のヴィクトリア時代の英国を代表する歴史家・評論家だったそうで、このパンフレットにはディケンズ、サッカレーなどがカーライルを讃えた言葉が引用されている。夏目漱石の訪問のことは記載されていない。「何か漱石関係の展示物はないでしょうか?」と博物館の案内の人に聞いてみた。案内の婦人は笑顔になり、引出しの中から手製のクリア・ファイルを取り出して見せてくれた。同じような質問をする日本人のビジターには慣れている様子だ。このファイルは漱石のカーライル博物館訪問に関しての日本の新聞に掲載された記事のコピーなどを一冊にまとめたものだ。後ろから「知らなかったわ」と日本語の声がした。観光客らしい二人組のご婦人だった。


この漱石関係ファイルを手に取って眺めるとカーライルと日本の関係についてまとめた論文のコピーがあった。それによると「フランス革命史」他の著作のあるカーライルは、数年がかりで仕上げた草稿を友人に批評してもらう目的で貸し出したところ、手違いで紙屑として焼かれてしまう。さすがに落胆するが、やがて気を取り直してもう一度原稿を書き上げた不屈の人として日本に紹介されて有名だったとある。このエピソードが中村正直がサミュエル・ジョンソンのオリジナルを和訳した「西国立志篇」に紹介されているそうだ。この本は1870年に出版されて福沢諭吉の「学問のすすめ」と同じように明治時代のベストセラーになっている。


ウェブサイトをチェックすると内村鑑三が1898年(明治30年)に書いた「後世への最大遺物」の中でも上記のエピソードが紹介されているが、誰が間違えて草稿を燃やしてしまったのかについての詳細がやや異なっている。「カーライルのエライことは『革命史』という本のためにではなくして、火にて焼かれたものをふたたび書き直したということである。もしあるいはその本が遺っておらずとも、彼は実に後世への非常の遺物を遺したのであります。たといわれわれがイクラやりそこなってもイクラ不運にあっても、そのときに力を回復して、われわれの事業を捨ててはならぬ、勇気を起してふたたびそれに取りかからなければならぬ、という心を起してくれたことについて、カーライルは非常な遺物を遺してくれた人ではないか。」 (内村鑑三「後世への最大遺物」 、青空文庫より抜粋)



この博物館はアルバート橋のすぐ側にある。「このほかにエリオットのおった家とロセッチの住んだ邸がすぐ傍の川端に向いた通りにある。しかしこれらは皆すでに代がかわって現に人が這入っているから見物は出来ぬ。ただカーライルの旧ろのみは六ペンスを払えば何人でもまた何時でも随意に観覧が出来る。” “チェイン・ローは河岸端の往来を南に折れる小路でカーライルの家はその右側の中頃に在る。番地は二十四番地だ。」  (青空文庫より抜粋)


「毎日のように川隔てて霧の中にチェルシーを眺めた余はある朝ついに橋を渡ってその有名なる庵りを叩いた。」  (青空文庫より抜粋)

「余は東側の窓から首を出してちょっと近所を見渡した。眼の下に十坪ほどの庭がある。右も左もまた向うも石の高塀で仕切られてその形はやはり四角である。四角はどこまでもこの家の附属物かと思う。カーライルの顔は決して四角ではなかった。彼はむしろ懸崖の中途が陥落して草原の上に伏しかかったような容貌であった。」  (青空文庫より抜粋)