2015年2月23日月曜日

関容子 「日本の鶯 堀口大學聞書き」

いつの間にか岩波現代文庫という棚を書店で見かけるようになったが、この文庫には良い本が多い。この本もその一冊だ。詩人堀口大學は旧制長岡中学出身なので、大先輩ということになるが、もともとは東京本郷の生まれだ。父親の九萬一氏の東大在学中に赤門の近くで生まれたことから大學と命名されたと本人が説明している。それから父親が明治時代初の外交官領事官試験に合格し、韓国に赴任したので、留守家族は長岡に移り住んだ。

この詩人が3歳の夏の長岡の花火を鮮明に覚えているのは、その秋に亡くなられたご母堂が入院先の病室の窓際でじっと花火を観ていた記憶があるからだそうだ。その後、父親は赴任先の韓国で閔妃暗殺事件の関係者として40数名と共に責任を問われ、広島の刑務所暮らしを経験する。やがて釈放され外交官への復職は果たしたが、多くの外地を転々とする。一方、長岡中学を卒業して東京へ出た息子は吉井勇に心酔し、与謝野夫妻の新詩社に出入りし文学青年になる。赴任先のメキシコに呼び寄せた息子にフランス語の勉強をさせたのが、その後の詩人としての飛躍の始まりということになる。


ここまで読むとエリート父子の物語だが、堀口九萬一は長岡藩の下級武士の家に生まれ、戊辰戦争で父親が戦死し、母子家庭で苦学して身を立てた人だ。詩人の祖母は、長岡人にとっての偉大な先人である戊辰戦争時の国家老河井継之助についても辛口のコメントを残している。誰の視点から語られたかで歴史の解釈は変わるものだ。

この本には詩人が与謝野寛に初めて会った時の長岡と父親についての問答、与謝野晶子が越後の名山弥彦をよんだ歌のこと、佐藤春夫との交流、銀座から新宿を経て神楽坂まで飲み歩く吉井勇について行く話、佐藤春夫と太宰治の交流、永井荷風の思い出などなど日本文壇のこぼれ話がたくさん収められている。もちろん訳詩集「月下の一群」の詩人らしく、父親の赴任地メキシコで始まったフランス語修行に始まり、ジャン・コクトー、マリー・ローランサン、ギョーム・アポリネールとの交流の記憶も語られている。とても面白い本だ。

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