しばらく前に友人のN氏がアメリカ東海岸に出張し、ニューヨーク名物のグランド・セントラル駅のオイスター・バーで牡蠣やらチェリー・ストーンを食べた写真をFBに投稿していて懐かしかった。1980年代の中頃に2年ほどフィラデルフィアに住んでいたので、時々ニュ-ヨークを訪れている。冬のアメリカ東海岸は寒さが厳しいので、熱々のニュー・イングランド・クラム・チャウダーは格別に美味しい。四半世紀も経ってからクラム・チャウダーの本場ボストンを訪れたのは2013年の晩秋だが、レストランでまず頼んだのもこれだった。冬になるとロンドンの近所のブラッセリ―でもメニューに出て来る。
チェリー・ストーンという貝は開高健の「小説家のメニュー」にも出てくる。ニューヨークで小ぶりのチェリー・ストーンという貝を生のまま、レモンとタバスコとケチャップを少しつけて食べた感想を「なかなかに小味の、粋なものである」と書いている。さらに「アサリの親分」のようなスチーマーズという貝を茹でたものがバケツのような大きな器に盛られて出てくるのを、スープと少々のメルティッド・バターにつけて食べる話も書いている。これで白ワインを飲むと最高だろう。
英語圏では生食したり、茹でたり、クラム・チャウダーに入れたりする二枚貝はクラムと総称される。さらに細分化された分類で、日本のハマグリ(約8㎝)・アサリ(約4㎝)のグループに相当するのがマルスダレ貝目マルスダレ貝科のチェリー・ストーンだ。。日本語でホンビノス貝(通称「しろはまぐり」)と呼ばれるこの貝は約2.5㎝から12㎝までの成長過程で、「リトルネック」、「チェリー・ストーン」、「トップネック」、「チャウダー」と名前が変わる。日本でも出世魚がワカシ、イナダ、ワラサを経てブリと成長するのと同じで面白い。この貝は20世紀の終わり頃から、千葉県幕張の浜でも採れるようになった。もともとは北米東海岸のものが、船底にへばりついて太平洋を渡り、幕張の浜辺に生育するようになったそうだ。
開高健は「小説家のメニュー」の他にも「最後の晩餐」、「食卓は笑う」など食のエッセイ本を何冊も書いている。この人は終戦の頃に父親が亡くなり、学生でありながら家族を支えた戦後の大阪でひどい半飢餓状態を経験したそうだ。この当時の話が、日本文学大賞を受賞した「破れた繭 耳の物語」などいくつもの作品に書かれている。やがて戦後の食糧事情が好転しても、食に対するこだわりはトラウマとなり、直らなかった様子が、盟友ともいうべき谷沢永一の書いた「回想 開高健」の中に詳しく出てくる。わたしの手元に開高健記念会が刊行した「Portrait de Kaiko 開高健」という写真集があるが、半飢餓時代の開高青年と、中年以降のこの小説家のポートレートを見比べると複雑な気持ちになる。外形は変わっても、全体として受ける印象は変わらないままだ。
貝にまつわる友達との体験から尊敬する開高健の食のヒストリー、今日もいいものを読ませて頂きました。
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