10月10日の英紙タイムズは「フランス以外にはほとんど知られていない」パトリック・モディアノ氏がノーベル文学賞を受賞したことについて「この授賞は論議を呼ぶが、自国以外には知られていない優れた作家を世に出すことになる点で賞賛されるべきだ」という論説を掲載した。この論説はノーベル文学賞の選考がそもそも恣意的なものであることに触れ、受賞したけれどもほとんど読まれていない作家の例として「大地」を書いたパール・バックを挙げ、ノーベル賞を受賞していない20世紀の偉大な作家の例としてアンナ・アフマートヴァとステファン・ツヴァイクを挙げている。
19世紀前半にプーシキンはロシア詩壇の黄金時代を築いたと言われ、現在でもファンは多い。20世紀になってその伝統を継承し、銀の時代」を構成したきら星たちの中にアンナ・アフマートヴァという詩人がいる。彼女は1941年の独軍のレニングラード侵攻の後で1944年の春までウズベキスタンに疎開していた。ウズベキスタンのヌークスにある前衛美術館の所蔵作品の中に青いドレスを着て椅子に座っているアフマートヴァの肖像画がある。アフマートヴァはペンネームだそうだ。社会主義リアリズムの時代に娘の詩作とその発表の影響を懸念した父親が、タタール人であったお祖母さんの名字をペンネームとして使うようにさせたそうだ。群像社「アフマートヴァ詩集」(木下晴世訳)にいくつか好きな訳詩がある。
2008年にサンクト・ ペテルブルグで夏を過ごした時に何枚かMP3を買い、短い詩を選んで解釈を試みてみたが難しい。アフマートヴァのかつての住まいが記念館になっているところを2度訪れた。「百の鏡の中で:同時代の人々によって描かれたアンナ・アフマートヴァ」(英・露)という本をそこで買った。アフマートヴァは1910年に新婚旅行で立ち寄ったパリで画家モジリアニと会っている。この画家が描いた詩人のデッサンがある。まだ若く貧しい絵描きだったモジリアニは「その冬の間中、数度会ったきりの自分にラブ・レターを書き続けた」と詩人は書き残している。