上記の「西域 探検の世紀」の中で植民地時代の列強による探検競争に日本も参加していた例として数次にわたった大谷探検隊の活動が紹介されている。ここで金子氏の分析が面白い。第2次大谷探検隊を率いた橘瑞兆が英国当局からスパイ活動を疑われたのではないかという点について「年格好や雰囲気からすると、キプリングのキムと印象は重なる」として、「この連想に気がつかなかったのは日本人だけだったろう」という解説がある。そのくらいキプリングの小説が、インド探検を目指す関係者の間で広く読まれていたことが前提となっている。
キプリングは明治維新の少し前に英領インドのボンベイで、英国人の両親から生まれ、幼児期と少年期を英国で過ごした。文庫版で570頁を超えるこの本を読み通すのには時間がかかった。文庫の帯によれば冒険譚らしいのだけれど、今一つ何が何やらあいまいだ。英国人ではあるけれどインド生まれである自分自身の経験を散りばめている。冒険話と巡礼的な話とやや欲張り過ぎだ。それでもこの本には不思議な魅力がある。冒頭に引用されている自作の詩のなかで鎌倉の大仏が登場する。
訳者の木村正則氏の解説によればこの本は英国の作家たちに大きな影響を与えたそうだ。中央アジアを舞台にピーター・ホップカークが書いた「The Great Game」は著名な本だ。このタイトルは様々な場面で引用されている。ホップカークも若い頃に「キム」を読んで強く影響を受けたという解説がある。現在のパキスタンパンジャブの州都ラホールに行ってみたくなった。