2025年8月12日火曜日

キプリング(Rudyard Kipling) 「キム」(光文社古典新訳文庫)

中央アジア史の研究者である金子民雄氏が書いた「西域 探検の世紀」(岩波新書)という本がある。「ラホール博物館 ー キプリングの「キム」」という題名のついた序章だけでなく、この本のあちらこちらで「キム」についての言及がある。検索すると光文社古典新訳文庫に入っていた。この文庫本の帯の惹句がすごい。「広大無辺な英領インドを舞台としたキプリングの最高傑作」。英国の小説家キプリングが書いた「キム」の物語はラホールから始まる。第二次世界大戦後にパキスタンとインドは分離独立を果たしたので、ラホールはパキスタンに属しパンジャブ州の州都である。

上記の「西域 探検の世紀」の中で植民地時代の列強による探検競争に日本も参加していた例として数次にわたった大谷探検隊の活動が紹介されている。ここで金子氏の分析が面白い。第2次大谷探検隊を率いた橘瑞兆が英国当局からスパイ活動を疑われたのではないかという点について「年格好や雰囲気からすると、キプリングのキムと印象は重なる」として、「この連想に気がつかなかったのは日本人だけだったろう」という解説がある。そのくらいキプリングの小説が、インド探検を目指す関係者の間で広く読まれていたことが前提となっている。

キプリングは明治維新の少し前に英領インドのボンベイで、英国人の両親から生まれ、幼児期と少年期を英国で過ごした。文庫版で570頁を超えるこの本を読み通すのには時間がかかった。文庫の帯によれば冒険譚らしいのだけれど、今一つ何が何やらあいまいだ。英国人ではあるけれどインド生まれである自分自身の経験を散りばめている。冒険話と巡礼的な話とやや欲張り過ぎだ。それでもこの本には不思議な魅力がある。冒頭に引用されている自作の詩のなかで鎌倉の大仏が登場する。

訳者の木村正則氏の解説によればこの本は英国の作家たちに大きな影響を与えたそうだ。中央アジアを舞台にピーター・ホップカークが書いた「The Great Game」は著名な本だ。このタイトルは様々な場面で引用されている。ホップカークも若い頃に「キム」を読んで強く影響を受けたという解説がある。現在のパキスタンパンジャブの州都ラホールに行ってみたくなった。

2025年6月26日木曜日

藤原新也「メメント・ヴィータ」

2022年に世田谷美術館で藤原新也氏の回顧展を拝見し、ご本人から写真集にサインしてもらう機会があった。この人の新刊「メメント ヴィータ」(2025年5月、双葉社)という本が面白い。世田谷美術館で展示された作品群について自作解説的な文章があって、展示に魅了された人たちにとっては必読だろう。旅をして考えたことを文章にした人としては開高健、沢木耕太郎(最近では高野秀行)の各氏を読んできたけれど、時代的にはこの人はその中間に位置する。

この新刊の新聞広告には<「メメント・モリ(死を想え)」から40年 藤原新也が放つ書下ろし最新作! 現代の日本と世界を語る令和版「東京漂流」が誕生!>とある。私が「メメント・モリ」を読んだのは世田谷美術館の回顧展の後だ。2018年の暮れに<1983年の刊行以来、30年以上にわたり多くの読者に読み継がれてきた超ロングセラー、装い新たに復刊>され、2022年に回顧展の時期に合わせて第二刷が発行された。こちらは写真が多い本で、それぞれの写真に絶妙な一文がついている。「メメント・ヴィータ(生を想え)の方は文章が主体だが、そのインパクトの強さは40年前の名著から変わっていない。

本の中身は読んでもらうしかないけれど、次のようなエピソードが満載だ。この人が若い人たちに話をする機会があった時に「いまどきは世界中から外国人が日本を訪れている。異国の人びととの触れ合いのためにわざわざ旅をする必要はないのでは?」という質問を受けたそうだ。この点について藤原さんの答えが明快だ。「異国を旅して直面するのは自分とその土地の人々の間に垣根があること。そこには差別があり区別がある。差別される中で自分のことを知るようになる」。

自分についてふり返ると旅というよりも定住がほとんどなので旅について書いている人たちのような極限状態の経験は限られている。それでも「差別と区別」というテーマはつきまとう。大事にされたり、親切にされたことも多いからプラスマイナス両面で考えるべきだけれど、そこから自分について考えることになるのは変わらない。