2014年10月4日土曜日

京極純一「日本の政治」 文明の作法とは何か?

政治学者の京極純一先生が駒場での政治過程論の講義をまとめた「日本の政治」(1983年)という本がある。政治学の対象である世の中の仕組みを理解する前提として、人の心を理解するための参考文献がいくつも紹介されている。数ある日本人論を論じた本の中から一冊選ぶとしたらこの本だ。読み返すたびになるほどと思うことが多い。

「日本人の人間交際の世界は、相手方の属性に応じて、あるいは、相手方と自分との関係に応じて、四種類(身内、仲間のいる狭い世間、他人のいる広い世間、言語不通・文化断絶の異郷としての外国)に分類されている。」、「人間交際の制度を貫いて、一方で身内化、他方で他人化という二つの相反する方向が働いている」、「四民平等となり競争の戦場に「サムライもどき」として臨むことが多くの人々の「構え」であるべきとされてきた。」、「立身出世が門戸開放され、富貴権勢を手にすることが正統な制度となった」。オトナの日本人は「ウチとソト」、「タテマエとホンネ」、「義理と人情」など相反する行動基準を他者との関係において使い分けられることを文明の作法として求められる。「開放と排他」「拝外と排外」「我慢と突発」など相反するように見えるものは実は同一のプロセスの中で現れるものすぎない。目からうろこというのはこういう本のことだ。


数学者の藤原正彦が「管見妄語」というエッセイの中で、和辻哲郎が「日本人は忍従と突発的反抗という二つの性格を併せ持つ」と述べていたことについて自分の体験を交えて論じている。この和辻哲郎の指摘も京極先生流の「文明の作法」として説明できる。ユング心理学の基礎も、柳田国男の「明治大正史世相編」も、中根千枝の「タテ社会の人間関係」も、土井健郎の「甘えの構造」も、ベネディクトの「菊と刀」も、ベンダサンの「日本人とユダヤ人」も、佐藤忠男の「日本人の心情」も、山口昌男の「道化の民俗学」も、岸田秀の「ものぐさ精神分析」もこの授業で知った。世の中には面白い本がたくさんあるが、自分の好きな分野で一定の嗅覚が働くようになるまでは正しい道案内が不可欠だ。京極先生にはそういう意味で深い影響を受けた。


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