2014年11月26日水曜日

定本 種田山頭火句集 夜長に酒を飲みながら 

古い友人がはるばる持ってきてくれた郷里の酒を飲んだ。美味い。「月が酒がわたし一人の秋かよ」という気分で山頭火の句集を読み返してみた。懐かしい句もある。新しく気が付いた句もある。

分け入っても分け入っても青い山


また見ることもない山が遠ざかる


落ち葉ふかく水汲めば水の澄みやう


砂丘にうずくまりけふも佐渡は見えない


月夜あかるい舟がありその中にねる


かみしめる餅のうまさの夜のふかさの


少し酔へり物思ひをれば夕焼けぬ


山のふかさはくちつけてのむ水で

月のさやけさ酒は身ぬちをめぐる


寝床までまんまるい月がまともに




2014年11月19日水曜日

アントン・チェーホフ「イオーヌイチ」

チェーホフの小説を読んだのは仕事でロシア語圏の国に住むようになってからだ。太宰治とか伊藤整の本にチェーホフの名前が出てくるので漠然とした憧れの気持ちはあった。最初に読んだのは「犬を連れた奥さん」だった。主人公の独白の形を借りて繰り出される冷徹な人生観、中年男の倦怠、人生をどう仕切り直すのかなどをとても率直に論じている。この本以来、この作家を意識するようになった。

2008
年の夏をサンクトペテルブルグで過ごした時に「イオーヌイチ」のオーディオ本を買った。それから文庫本を読んだ。この小説の主人公イオーヌイチ君は医者になりたての好青年だ。地方の名士の家の一人娘に一目ぼれする。この18歳の娘の描写が瑞々しい。作者自身の初恋の記憶が混じっていそうな気がするほどだ。「表情はまだ幼くて、腰つきもほっそりとやさしかった。いかにも初々しくて、もうふっくらとしたその胸は美しくて健康そうで、青春を、まぎれもない青春を語っていた。」「彼女の生き生きしたようす、眼や頬のあどけなさに彼は魅せられた。」

勇気を奮ってイオーヌイチ君はデートを申し込む。ノートに書かれた娘の返事は「今夜や墓地で会いたい」だった。心ときめかせたイオーヌイチ君は指定された場所に向かう。明け方まで待ち続けた青年はこの夜、不思議な体験をする。「黒々としたポプラの一本一本に、墓の一つ一つに、静かな、すばらしい、永遠の生命を約束している神秘が宿っていると感じられる世界だった。」「これらの墓には、かつては美しく、魅力的で、恋に落ちて夜ごと愛撫を受けながら身を焦した女や娘たちがどれほど埋められていることだろう、と。」「目の前に見えるのは、もはや大理石の片らではなくて、すばらしいいくつもの肉体だった。彼は、それらの姿が恥らうように木かげに隠れるのを見、その温もりを感じた。」

すっぽかされたイオーヌイチ君は懲りもせず、燃え上がる気持ちで娘にプロポーズする。娘の答えは理路整然としていた。ピアノを弾くこの娘は芸術を愛している。娘は芸術家としての名声や自由に憧れている。平凡な奥さんとして家庭に縛り付けられるなんてまっぴらだ。やがて娘はモスクワに音楽の勉強に行く。

それから4年が経つととんでもない逆転が起きてしまう。娘はモスクワから戻るとかつての熱情から解放されて現実的な結婚相手が欲しくなる。太って貫禄も出てきたイオーヌイチ君は最適の花婿候補だ。それにかつては自分に夢中だった男だ。ところが墓場で娘を待ちながら何かしら哲学的に目覚めてしまったイオーヌイチ君はもはやかつてのうぶな好青年ではない。中年にさしかかり物事を斜めに見る癖のついたイオーヌイチ君には、自分とよりを戻したがっているまだ20代前半の娘が平凡な田舎娘に見えてしまう。

チェーホフ先生は美しい初恋の物語を何故こんなにも捻じ曲げてしまう必要があったのだろうか?自分自身のつらい失恋の体験をこのような形で総括したかったのだろうか?18歳の地方の娘が芸術に憧れ、都会で勉強してみたいという気持ちは誰でも理解できる。娘は悪くないのに、ここまで変わってしまう男の恋心とはいったい何だろうか?娘に裏切られたわけでもないイオーヌイチ青年の心に何が起きたのだろうか?そう考えると深夜の墓場で垣間見た永遠の美の世界を覗いてしまったことで、彼の心の中に現世的なものへの懐疑心が芽生えてしまったとしか考えようがない。これと言った結論があるわけでもないこの小説は淡々とイオーヌイチ君の生活を描いているだけなのだが、恋の儚さについて考えさせずにはおかない。怖ろしい本だ。
                 (引用はちくま文庫「チェーホフ短編集」松下裕訳より)

2014年11月15日土曜日

作家の妻たち 「回想の太宰治」と「高橋和己の思い出」に共通するもの

太宰治の夫人である津島美知子の「回想の太宰治」を読んだ。この本が出版されたのは1978年だ。高橋和己の夫人である高橋たか子の「高橋和己の思い出」が出版されたのは1977年なので一年違いである。小説家としての高橋たか子のファンだったのでこちらは刊行後すぐに読んでいる。いくつかの点で共通したものがある。高橋たか子は、本の冒頭から3つ目の「出会い」という文章の中で夫君の容貌について書いている。「主人は大変美青年であった。。。それは美貌と哲学的純粋さとでもいったものが融けあっている顔である。眼が澄んでいて、世間の一切から超然としているような気配がある」。  津島美知子も「御崎町時代、近くの女の子たちが「おさむらいだ、昔の人だ」などと太宰を見上げて囁き合った、いささか特異な、目立つ風貌である。」 と書いている。

高橋たか子は夫のことを「主人は自閉症の狂人であった」「閉ざされた宇宙の中で観念の積木遊びをしていたのだ」「生身の女である私を、母親の観念に近い抽象的なものであらしめようと望み、そんな快適な膜の中に自閉し続けたように私には思われる」と書いている。津島美知子は夫のことを「皮をむかれて赤裸の因幡の白兎のような人で、できればいつも蒲の穂綿のような、ほかほかの言葉に包まれていたいのである」と書いている。どちらも自分の夫に自閉症的な傾向があったことを指摘しているのが共通している。

高橋たか子はさらに書いている。「私は主人の小説を清書し続けた。口述筆記もした。私の手を通ることで完成したものの枚数は、合計すれば三、四千枚は
るだろう」。 「無名時代は私だけが全く無心に主人の文学を支持していたのであったが、有名になってからは無心有心を問わず沢山の支持者もできた。。。だが、私の支持がなくなってからの主人の作品は失敗作ばかりである」。  
津島美知子も新婚時代を描いた「御崎町」という文章の中で「この家での最初の仕事は「黄金風景」で、太宰は待ちかまえていたように私に口述筆記をさせた」と書いている。

高橋たか子がペンネームについて夫君に相談した時のエピソードが面白い。「高橋でいい、とむっつり言った。その時の主人の気持を、わたしはよくわかっていた。家庭という枠に納まらないようなところが私にあるのを主人は知っていて、高橋という名前で、家庭に納まらせたのだ、と私は思っている」。
津島美知子は夫君の乳母のたけさんという女性について「私には甲州という異郷にあって太宰が、小林さんや郷里のたけさんなど、自分を支持してくれる人の名を呼び続けていたような気がする」と本の冒頭から2つ目の「寿館」という文章で書いている。このたけさんについては本の中盤で「アヤメの帯 - たけさんのこと」という文章がある。この女性が美知子夫人が予想していたよりも若かったこと、雪の肌の持ち主であること、賽の河原の野宿の話などしきりと「おばさん」ではなく「女性」であることを強く意識した文章になっている。

この2の回想記、どちらも生き生きした描写で面白いが、妻たちから眺めた作家たちの横顔に共通点があることに注目しながら読むとさらに面白い。
 

2014年11月13日木曜日

高野文子「ドミトリーともきんす」

「ドミトリーともきんす」を読んだ。読み始めてから読了するまで気になっていたことがある。この本の著者である新潟県出身の高野文子氏のことをずーと「知っているはずだ」と思い込んでいたが、違和感があったことだ。もう一人の「Fumiko」さんと勘違いしていたことにようやく気がついた。ふむむ。まあ岡田史子氏の作品を読んだのはずいぶん昔の話だから仕方がない。

 この本は変わっている。挿絵入りの本の紹介だ。この夏にちくま学芸文庫の牧野富太郎「植物記」を買っていたので、その書評を読ませてもらった形になる。去年フェースブックを始めて以来、近所や公園の草花の写真を撮ることが多くなった。これまで注視することのなかった草花の色や形がレンズを通して見るととても面白い。色や形が面白いと名前を知りたくなるし、それにまつわる物語も知りたくなる。

 高野氏は書く。「牧野の文章からは、植物の姿をつぶさに捉える観察眼の鋭さを感じることができるが、それは長年自らの手で植物を書いてきたことの賜物であろう」。「この随筆が収録されている「花物語」はページをめくれば牧野の朗々とした声が聞こえてきそうな一冊で、「私は植物の愛人としてこの世に生まれてきたように感じます。あるいは草木の精かも知れんと自分で自分を疑います。ハハハハ」と言ったセリフはまさに真骨頂」。

この本では軽やかな調子で朝永振一郎、牧野富太郎、中谷宇吉郎、湯川秀樹という科学の巨人たちの仕事が本人たちの随筆を引用しながら紹介されている。「ドミトリーともきんす」という表題は本の中に登場するとも子さんときん子さんという親子の名前でもあるが、ジョージ・ガモフ著「トムキンスの冒険」のもじりだそうだ。


2014年11月12日水曜日

ドストエフスキーの誕生日

11月11日は今から193年前の1821年にロシアの文豪ドストエフスキーが生まれた日だ。「カラマーゾフの兄弟」に何度も挑戦しては投げ出していることを思い出した。亀山新訳が出た時に今度こそと思ったが第3巻の途中でそのままになっている。モスクワ生まれのこの作家は15歳からサンクトペテルブルクに住んだ。2008年の夏にこの街で語学研修をしていた時に、現在は記念館として公開されている家を訪れた。

 帰り道の街角で面白い看板を見つけた。ホテルの看板で「古い罪」と書いてあった。さすがは「罪と罰」を書いた文豪の住んだ街だと思った記憶がある。若い日の過ちを悔いながらこういうホテルのバーで飲む酒はヴォトカだろうか?