2014年10月3日金曜日

伊藤整「若い詩人の肖像」

1955年(昭和30年)11月発行の中央公論創立70周年記念号が本棚にある。鎌倉の父の本棚にあったのを譲り受けたものだ。わたしが生まれる一年前の雑誌なので面白い。伊藤整の「若い詩人の肖像」の連載第三回が載っている。連載後まとめられた作品の第六章にあたる。昔は新潮文庫で読んだが、今は活字の大きくなった講談社文芸文庫で読める。第一章「海の見える町」の一部が高校の現代国語の教科書に載っていたので懐かしい。高校生の頃に詩に興味を持つようになったきっかけとなった本だ。

北海道小樽市の塩谷村に生まれた伊藤整は小樽高等商業時代から萩原朔太郎に傾倒し、詩人としての自分のことを意識している。「若い詩人の肖像」の第一章「海の見える町」の中で朔太郎の「題のない歌」を全文引用し、「白日夢のような奇妙な空しい実在感を、日本の詩で誰も描いたことがないほど明晰に、しかも読むもののこころに抵抗しがたく入るように書いた詩であった」と激賞している。伊藤整が文学に傾倒していく過程で旧制小樽中学、小樽高商と同窓の小林多喜二を意識し続けたことも大きかったことがこの本から明らかだ。


小樽高商を卒業してからは、地元の中学校で英語教師をする。夜間のアルバイトをしたり、宿直を続けたりして、東京へ出るための資金をせっせと貯めている。やがて東京の文壇に接近し、切磋琢磨するための方法として東京商科大学(一橋大学)に進学することを決意する。実に用意周到に準備を重ねる様子が印象的だ。この本は著者が最初の詩集「雪明りの路」を自費出版する前後の様々な交友と文学修業の記録である。人並み外れた感受性と観察眼をあわせ持つ文芸評論家による自己と出会った人々についての観察記録なので、とても面白い。


この本には詩集「雪明りの路」やその後の小説にちりばめてある若い日の恋や憧れが記憶されたエピソードとして出てくる。伊藤整は詩人から出発して、翻訳家、小説家を経て日本を代表する文芸評論家になった。この人は1905年(明治38年)生まれなので、この本は著者が50歳になった頃に自らの青春時代を回顧していた本である。記憶をたぐり寄せる作業というのは、その過程で自分なりの解釈が入るのは当然だ。桶谷秀昭による評伝「伊藤整」によれば、余市の恋人として登場してくる女性のモデルになった人は事実と違うとかなり憤慨したらしい。


2 件のコメント:

  1. 詩人から翻訳家、小説家、文芸評論家とは興味深いです!

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    1. 伊藤整という人は固いイメージがありますが、かなり面白い人ですね。

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