2014年10月3日金曜日

喪失と再生の物語

大切なものを喪失し、嘆き悲しんだ後で時間や世界を超えて再会する物語は、ギリシャ神話のオルフェウスの物語にも、日本神話のイザナギ・イザナミの物語にも共通している。NHKでドラマ化されたラフカディオ・ハーンの物語の中でニューオリンズで記者をしていた時代の日本の文化との出会いが描かれている。ハーン先生は博覧会のために訪米していた日本の外交官たちから古事記の物語を教えてもらうことになる。自分の出自であるギリシャの物語との共通点を見出したことが日本に対する興味を深めるきっかけとなる場面が印象的だった。

村上春樹も「風の歌を聴け」以来常にこの主題を変奏してきた。「ノルウェイの森」は村上版のオルフェウスの物語だが説明が克明すぎて辛いものがある。「国境の南、太陽の西」のほうが失われた島本さんとめぐり合い、かつての無意識的な喪失をより自覚的に再体験する点ではよりオルフェウス物語に近い。「国境の南、太陽の西」に熱中していた時期があった。その頃、ロンドンで職場の同僚の英人女性に「ハルキムラカミ」に興味があるが、どれが面白いだろうか?と聞かれてこの本を勧めた。しばらくして会った時に彼女のコメントは「bizarreな本ね」だった。確かに風変りな本だろう。

ほとんど同じ印象を持つのが柴田翔「贈る言葉」だ。この作品では恋人は死なないが喪失感の強さは同様だ。学生時代の恋人が商社マンの妻として外地へ旅立つという報せを聞いた主人公が、心の中で再びその人を喪うのは切ないものがある。

人の生き死にを含めて何かを喪うということは起きる。その喪失の突然さとそこに立ち会った自身の無力さを思い返して「それは喪失されるべきものではなかった」「もう一度やり直したい」と考える。そう思ったところで喪われたものは戻りはしない。高揚と幻覚を味わった後で再び喪失することになるとしたら、その喪失感は深くなりそうだ。

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