2014年10月19日日曜日

ロシアの詩人アンナ・アフマートヴァのこと

1010日の英紙タイムズは「フランス以外にはほとんど知られていない」パトリック・モディアノ氏がノーベル文学賞を受賞したことについて「この授賞は論議を呼ぶが、自国以外には知られていない優れた作家を世に出すことになる点で賞賛されるべきだ」という論説を掲載した。この論説はノーベル文学賞の選考がそもそも恣意的なものであることに触れ、受賞したけれどもほとんど読まれていない作家の例として「大地」を書いたパール・バックを挙げ、ノーベル賞を受賞していない20世紀の偉大な作家の例としてアンナ・アフマートヴァとステファン・ツヴァイクを挙げている。

19世紀前半にプーシキンはロシア詩壇の黄金時代を築いたと言われ、現在でもファンは多い。20世紀になってその伝統を継承し、銀の時代」を構成したきら星たちの中にアンナ・アフマートヴァという詩人がいる。彼女は1941年の独軍のレニングラード侵攻の後で1944年の春までウズベキスタンに疎開していた。ウズベキスタンのヌークスにある前衛美術館の所蔵作品の中に青いドレスを着て椅子に座っているアフマートヴァの肖像画がある。アフマートヴァはペンネームだそうだ。社会主義リアリズムの時代に娘の詩作とその発表の影響を懸念した父親が、タタール人であったお祖母さんの名字をペンネームとして使うようにさせたそうだ。群像社「アフマートヴァ詩集」(木下晴世訳)にいくつか好きな訳詩がある。

2008年にサンクト・ ペテルブルグで夏を過ごした時に何枚かMP3を買い、短い詩を選んで解釈を試みてみたが難しい。アフマートヴァのかつての住まいが記念館になっているところを2度訪れた。「百の鏡の中で:同時代の人々によって描かれたアンナ・アフマートヴァ」(英・露)という本をそこで買った。アフマートヴァは1910年に新婚旅行で立ち寄ったパリで画家モジリアニと会っている。この画家が描いた詩人のデッサンがある。まだ若く貧しい絵描きだったモジリアニは「その冬の間中、数度会ったきりの自分にラブ・レターを書き続けた」と詩人は書き残している。


2014年10月15日水曜日

「羊をめぐる冒険」と「砂の女」に共通するもの

仕事で住んだ国々の書店を訪ねてどんな日本の本があるか探してみるのは楽しかった。海外の書店に置いてある本としては村上春樹の人気は圧倒的だ。安部公房の「砂の女」も頑張っている。ロンドンにもあるし、サンクトペテルブルグにも置いてあった。スコピエでもビシュケクでも見た。村上春樹の「羊をめぐる冒険」には普遍的なテーマと明確な構成がある。あちらの世界とこちらの世界で何かしら逡巡する主人公がいる。短い章立てで二つの世界が順番に切り替わる。そういう二つの世界をつなぐものとして古井戸などの深い「穴」が登場する。主人公は読者と一体となって「自分は誰なのか」、「自分はどこに属しているのか」という普遍的な疑問の解明に向かう形で物語が進行する。

この構造は「砂の女」でも同じだ。突然砂の穴に落ちた主人公はひたすら脱出しようともがく。穴の中で囚人のように砂を掻き出す自分がいる世界と、ついこの間まで自分が所属していた「文明世界」の追想がパラレルに進行する。やがてその砂の世界で妙な落ち着きを取り戻し始めた時に、自分が所属していたはずの世界とは何だったのかという懐疑を抱くようになる。映画の「砂の女」でヒロインを演じた若い日の岸田今日子がとても魅力的だ。岡田英次演じる主人公がたまたま砂丘の穴に落ち込んだことで、それまで気がつかなかった形の自由を手にする。

「自由」には二つの英訳がある。アメリカ独立の頃の「自由を与えよ、さもなくば死を」という有名な文句に出てくるlibertyは積極的に何かをする自由を示す。抑圧や強制や恐怖からの自由を示すのはfreedomだ。管理社会の中で何かしらの息苦しさは感じるが、あくまでそれを選択した主体は自分だと思いながら生きている。安全快適な暮らしと息苦しさとのトレード・オフの中でその加減を選ぶのは自分だ。漱石先生も草枕の中で「とかくこの世は窮屈だ」と歎じた。Freedomを完全に失うという極端な状況に直面することは少ないが、バランスが大きく崩れていることに気が付かないことは多い。この「バランス」への懐疑と生の実感を求めることは、国境を越えてますます理解されやすいテーマになっている。そういえばわたしの職場でも「ワーク・ライフ・バランス」という言葉は大流行だった。

2014年10月14日火曜日

サマセット・モーム「人間の絆」は面白い!

大学受験の文学史の参考書などで名前だけ知っている名作は多い。モームの長編「人間の絆」を半世紀も生きてから、読んでびっくりした。世の中にはまだまだ面白い本があると思い知らされた。「まだまだこれからだ」と元気になってくる。この物語の主人公フィリップは早くに両親を失くし、気難しい伯父の家に引き取られる。学校生活を束縛としか感じなくなり進学に興味を失くす。ロンドンの会計事務所の見習いになるがこれも続かない。進学のために遺されていた資金を使って、パリに出かけて絵の勉強をする。2年ほど自由な生活を味わってみるとそれにも幻滅を感じる。ロンドンで堅気の生活に戻ることにするが、会計事務所で宮仕えにはうんざりしたので、手に職をつけようと医学校に入る。

再開したロンドン生活で運命の女性であるミルドレッドに出会う。これから延々と続く二人の関係の描写が面白い。この主人公は彼女のことを最初から違和感を持って眺めている。いろんなことが起きて、辛い目に遭わされても彼が決定的にダメージを受けないのは始めからこの不思議なヒロインとは合わないことを知っているからだ。それなのにフィリップはこの女に魅かれる気持ちを抑えることができない。絵心のあるフィリップはこの女が投影するイメージが好きなのだ。それが必ずしもこの女の実体を映したものではないことに気がついているのか、いないのか男の優柔不断は続く。主人公はこの薄情けの女性にコケにされ続ける。


この長い小説が面白いのはやがて主人公の成熟とともに、この二人の力関係が逆転していくからだ。下巻の中盤で、二人の関係にクライマックスがやってくる。結婚に失敗し、子供を抱えてフィリップのところに転がり込んだミルドレッドが、この二人の長い付き合いを仕切り直すべく、この気弱男を誘惑にかかる。彼女としては彼の親切の意味が不明確なのも不安なので当然のことだ。これをやんわりと拒まれた彼女の逆上ぶりがすごい。実はこの部分に来るまでこの薄情け女にも、それに魅かれる主人公の気持ちにも感情移入できなかったのだが、この猛烈なミルドレッドの怒りの場面で印象が変わった。ミルドレッドの怒りに共感するのは何故か?趣味も性格も合わないのに魅かれあう二人の人間の関係を描いた途轍もない恋愛小説だからだ。


暴風雨が去ったような形で青春期以来のミルドレッドとの関係に区切りがついたフィリップの生活にようやく落ち着きと成熟が訪れる。この主人公は生まれつき足が不自由だったのに、この頃になると主人公も読者も彼の足の悪いことなど気にしていない。この長い小説の終わりも近くなって、もう一人のヒロインであるサリーと出会い、物語はハッピーエンドとなる。このあたりの物語はとても美しいが、この本全体の面白さに比べれば、おまけみたいものだ。


芥川龍之介「袈裟と盛遠」にサンクトペテルブルクで出会った

芥川龍之介「袈裟と盛遠」の入っているオーディオブックMP3を2008年夏にサンクトペテルブルクで見つけた。古典に題材を求めて自分の解釈で物語を作ってみせた芥川らしい短い心理劇だ。それから日本語の原作を探した。このMP3に入っていたのは「杜子春」「南京の基督」「袈裟と盛遠」だった。最初の2作は子供の頃に読んでいるが、「袈裟と盛遠」は知らなかった。新潮文庫「羅生門・鼻」の中に入っている。14頁ほどの短い物語で前半と後半に分かれている。前半が主人公の独白で、後半がヒロインの独白だ。「源平盛衰記」に登場する袈裟御前という高貴な身分のヒロインに横恋慕した若侍の盛遠が袈裟御前の夫の殺害を企てる。あわやのところでヒロインが自分の身を投げ出して犠牲となり夫を助けたという貞女物語を芥川が解釈し直している。

殺人者の盛遠の立場からと、殺された袈裟の立場からの心理を芥川が解釈する。男と女の関係がどう変容するかについての考察だ。若武者盛遠は袈裟御前の雅やかな姿に恋い焦がれるがやがて思いを遂げてしまうと、どこかで袈裟に恋している自分のことも、袈裟自身のことも醒めた目で見るようになる。美しい女性である袈裟にとって若者が自分に恋しているのはいつものことだ。ゆとりをもって事態を眺めていたはずだったが、やがて盛遠がどこか醒めた目をしていることに気がつく。袈裟としては命をかけてでも、美しい自分のプライドを守る方法について考えをめぐらせ始める。そうして事件が起きる。貞女袈裟御前が身を挺して守ろうとしたのは実は夫ではなかったのではないかというのが芥川流の解釈だ。やがて老いて行く現実の中にではなく、若者の記憶の中で美神として生き続けることを袈裟は選んだのかも知れない。


「袈裟と盛遠」の印象は黒沢監督の「羅生門」の原作となった芥川の「藪の中」に似ている。ミステリー劇ではない。美しい女に憧れる男と、憧れの対象となる女。その関係がどう変容するかについての考察だ。この作品を選んでロシアの読者に紹介しようとした人のセンスも鋭い。この本がMP3やペーパーバックでペテルブルグの店頭にあるということはロシア人の読者が今でも芥川を読んでいるということだ。安倍公房「砂の女」も、井上靖「敦煌」も、村上龍「限りなく透明に近いブルー」も翻訳されて異国の書店に置いてあった。


この若武者盛遠は事件当時19歳だったとされている。罪を反省した盛遠は死罪を免れると、出家しやがて文覚上人となり歴史に名を残している。神護寺、東寺、東大寺、江の島弁財天などの修復にも貢献したそうだ。ウィキペディアによると出家以前の盛遠のことが書かれているのは「源平盛衰記」で、その後伊豆に流され、その地で源頼朝と出会い平家の追討を勧めたそうだ。面白い人物だ。手塚治虫もこの人に興味を持ったようで「火の鳥 乱世編」の中に登場させている。


太宰治「竹青」と三つの変身譚

太宰治「お伽草紙」(新潮文庫)の中に入っている「竹青」は好きな作品だ。受験の頃にZ会という通信添削サービスがあり、現代国語の練習問題に出題されていたので懐かしい。中国の古典「聊斎志異」にある原作を翻案した1945年の小説だ。翻案物ということでは芥川龍之介が1920年に書いた「杜子春」と共通するところがある。落ちぶれて途方に暮れていた杜子春は仙人に気に入られて二度まで豪華な生活を経験するが、やがてその空しさに気がつく。三度目に仙人に会った時には仙人になりたいと願う。この時に仙人になるためのテストに失敗してしまうが、実はそれは正しい選択だった。「竹青」の主人公である魚容も神の使いである竹青に二度試される。気が弱くて決断力にかける魚容は二度目の試験にも失敗してしまうが実はそれが正解だった。この結果、杜子春も魚容もハッピーエンドを迎える。

もう一つ中国古典の翻案として中島敦が1942年に書いた「山月記」がある。この小説は高校の現代国語の教科書に採用されているので懐かしい。覚えている人も多いだろう。この本は「人虎伝」という原作に題材をとっている。「山月記」の主人公である李徴は俊才で、官吏としての自分に飽き足らず詩人になることを目指す。官職を辞して筆で立つことを志すがうまく行かない。やがて詩人として成功したい焦りと、高官の途を捨てたことへの悔いとの板挟みで人間でなくなり、虎になってしまう。「竹青」の魚容は平凡な暮らしで人々に侮られることが嫌で逃げ出したいと思っている。「山月記」と違うのはどこにでもいそうな平凡な男として描かれていることだ。ある日、神の使いである竹青が現れて神に仕えるカラスに変身させてくれる。主人公のタイプは正反対だが今の生活に満足できず,変化を望む気持ちが変身につながるところは共通している。


「杜子春」は「変身譚」ではないが、仙人になる試験のところで畜生道に落ちて牛に変身させられた両親との出会いが物語の重要な場面なので、広い意味では変身話である。以上三作の中国古典の翻案作品には共通な部分が多い。ハッピーエンド物語を書いた芥川龍之介と太宰治は自殺した。虎に変身したまま救われることのなかった男の物語を書いた中島敦は33歳で病没している。合掌。

2014年10月13日月曜日

五木寛之「星のバザール」他のロシア・東欧小説

大学生になって、文学好きな先輩に好きな作家は誰かと聞かれた時に「五木寛之です」と答えて怪訝な顔をされたことがある。今は「親鸞」、「林住期」など人生と哲学を語る五木先生だが、小説家デビューした40数年前はもっとアブナイ感じのする作家だった。この人は作詞もしている。フォーク・クルセイダース「青年は荒野を目指す」(1968年)、松坂慶子「愛の水中花」(1979年)、山崎ハコ「織江の歌」(1981年)などの名曲がある。 高校一年の夏に郷里の市立図書館で「青春の門 筑豊編」(1970年)を借りて読んだ時は衝撃だった。この本はそれからすぐに有名になった。学校でも大騒ぎしている連中がいた。吉永小百合さんが主人公の母タエ役、大竹しのぶさんがヒロイン織江役を演じて映画化もされた。

 五木さんは1967年の「蒼ざめた馬を見よ」で直木賞を受賞した。八つ年上の兄が文芸春秋社「五木寛之作品集」(1972-74年) を読んでいたので、後からこっそり読んだ。「さらばモスクワ愚連隊」、「霧のカレリア」、「ソフィアの秋」などロシア・東欧ものを読んでわくわくした。「風に吹かれて」、「こがね虫たちの夜」も印象が強い。「星のバザール」というロシアの歌をめぐる物語も心に残っている。それから20年近くたって旧ソ連地域に関係した仕事について、旧ソ連や東欧を訪れる機会があった。なんだか不思議な気持ちがした。

   星の市場は 街のはずれにある
  そこには 何でも売ってないものはない
  私は牛車に乗って 星の市場へいく
  車の軸が夜の星々の下できしむ だが
  星の市場にも それはなかった
  私がさがしている 過ぎ去った日々は
             (集英社文庫「星のバザール」より抜粋)


2014年10月11日土曜日

アドリア海の街で開高健「夏の闇」を見つけた

タシケントで働いていた頃の夏休みにアドリア海に面するイタリアの港街アンコーナを訪ねたことがある。ローマから15人乗りの小型飛行機で一時間くらいだった。半島を長靴に例えるとふくらはぎの上の部分の辺りの感じになる。東に向かう海の向こうはバルカン半東の国クロアチアにはフェリーで渡ることができる。夫婦で泊めてもらった友だちのアパートは趣味の良いアジア風の家具であふれていた。この人と出会ったの中央アジアの某国だった。若い頃からアジア各地での勤務の多い仕事をして元気な人だ。

港街の浜辺で本を読んだり、山のコースでゴルフをしながら一週間を過ごした。泊めてもらった部屋は書斎兼客間で、壁が床から天井まで本で埋まっていた。ほとんどが、イタリア語と英語の本だったが、開高健の「夏の闇」の文庫本が逆さまに置いてあった。漢字は読めないだろうから無理もない。それからしばらくしてこの本についての彼女の思い出を聞いた。ミャンマーで働いていた頃に日本の若者と出会った。やがて転勤でお互いに出会った土地を離れた。お互いに仕事があったし、素敵な彼女には他にも友だちがいて、いろいろあったそうだ。結局、離れ離れになってしまい十数年が過ぎたある日のことだそうだ。突然、彼から「会いたい」と電話がきた。彼女はすでに結婚していたが、死を目前にした彼に会うために広島の病院を訪ねることにした。「夏の闇」がその人の形見となった。

「夏の闇」はいくつかの評伝によるとヒロインのモデルがいる。その人が事故で亡くなられた後で鎮魂のために書かれた作品らしい。開高夫人にとっては衝撃的な作品だったろう。それでも書かずにはいられなかった本ということになる。この本以降の開高健は食のエッセイや釣りの紀行文は量産しているが、小説については寡作気味となる。そういう本をアンコーナに住む人の書棚で見つけたので不思議な気持ちになった。開高健は「漂えど沈まず」という言葉を愛して、その後も創作を続ける。死の数年前から「花終わる闇」「珠玉」など「夏の闇」の世界を再結晶させたような作品を書いて58歳で病に倒れている。合掌。



2014年10月6日月曜日

好きな漫画 永島慎二 安部慎一 松本零士 山上たつひこ

永島慎二という人の描いた「漫画家残酷物語」、「フーテン」、「黄色い涙」など抒情的な青年漫画はとても印象が強い。「黄色い涙」はNHKの銀河ドラマになった。若い頃の森本レオ、下條アトムなど懐かしい。「フーテン」と「黄色い涙」は今も本棚にある。この人は「柔道一直線」(原作梶原一騎)も描いている。

IT革命のおかげでそれ以外にも記憶の海の底に埋もれていた様々な作品のイメージの再生が可能となった。すごい時代だ。永島慎二の青年漫画や、安部慎一の「美代子阿佐ヶ谷気分」「まりこの憧れ」とか昔懐かしい作品が Google の画像で出てきてすごい」という話をつれあいにした。

「そういえばなんか四畳半の下宿で一人暮らしする漫画があったね」と言う話になった。「作者は松本零士、主人公の名前は大山昇太。懐かしいね」と答えた。「そんな古い話なんて誰も知らないよ」と言われた。「面白くないかな?銀河鉄道999とか宇宙戦艦ヤマトで松本ファンは多いよね」と言うと「えー同じ人が書いたの?」とびっくりしていた。

山上たつひこ「喜劇新思想体系」とか「がきデカ」とか懐かしい漫画はまだたくさんある。もう少し時代を遡れば「スポーツマン金太郎」「暗闇五段」とかいろいろある。


西原理恵子 「パーマネント野ばら」

西原理恵子「パーマネント野ばら」は漫画というよりもすてきな絵本だ。わたせせいぞう風の、吉田秋生風の抒情的な表紙絵がすばらしい。途中からすごい展開になる。2004年から2006年にかけて「新潮45」に掲載された作品だ。人それぞれで好き嫌いがありそうだ。この大人の絵本は菅野美穂主演で映画化された。母親役を夏木マリが演じた。この人は「絹の靴下」の頃も懐かしいが、齢を重ねた今も素敵だ。フィリピンパブのママを小池栄子が演じた。映画「草原の椅子」での演技が印象的だった記憶がある。

西原さんの書いたものをもっと読みたくなったので帰省していた時にジュンク堂で探してみた。漫画本のコーナーにはなかった。「パーマネント野ばら」は新潮文庫に入っていた。角川文庫に「いけちゃんとぼく」「サイバラ式」が入っていたので3冊買ってきた。「野ばら」の新潮文庫の後ろ表紙に「可愛くて神聖なきらきらをすくいあげた、抒情的作品の最高傑作」とある。好きな人は中毒になるくらい好きになる。そういう作品だと思う。

九つめの物語の中に「流した涙のかずだけ、人間は大きくなれるんだよ」というト書きが入る。五木ひろしの歌った「二人の夜明け」と共通する世界だ。作詞した吉田旺という人はちあきなおみのレコード大賞受賞曲「喝采」も作詞している。「それでもわたしは今日も恋のうた 歌ってる」。

古井由吉「杳子」と「櫛の火」

古井由吉の 「杳子」 は若い頃とても気になった作品だ。事情があってとても複雑な気持ちになるので、この本を読んだ時に感じていたことを説明するにはもう少し歳をとる必要がありそうだ。青春期の物語にはどこかで共通するものがある。この物語のヒロインは村上春樹の 「ノルウェイの森」 の直子に似ていると思う。当時学生だったわたしは同じく映画化された 「櫛の火」 (神代辰巳監督、 1975年) を観ている。草刈正雄、ジャネット八田、桃井かおりの豪華キャストだった。不思議な味わいの映画だ。

2014年の夏に帰省した時に、ウランバートルで働いているAさんから馬頭琴のCDをいただいた。グーグルで馬頭琴のことを調べていると映画「馬頭琴夜想曲」(木村威夫監督、2007年)が出てきた。山口さよこ(小夜子から改名)さんが主演している。モデルとして活躍した不思議な魅力の山口さんはこの映画の完成後2007年の夏にご逝去された。その記事で山口さんが1977年に古井由吉原作の映画「杳子」に出演していたことを知った。人気絶頂だった山口さんの不思議な雰囲気を撮るのが中心だったようで、原作とはストーリーが変えてある。


ジョセフ・クーデルカ プラハの春のスクープとその後の流浪

ジョセフ・クーデルカという人の写真集が手元にある。2013年の暮れに帰国した時に竹橋にある東京国立近代美術館の回顧展を見に行った時に買ったものだ。写真家のインタビュー記事がついていて面白い。チェコ生まれのこの人はジプシーの人々をテーマにして、とてもインパクトの強い写真を撮っている。1960年代に撮られた連作はスロヴァキアとルーマニアのジプシー居留地で撮影されている。この人は自作についてインタビューで語る。「1963年に初めて輸入された広角レンズをたまたま手に入れることができなかったら、ジプシーの写真をあんな風に撮ることはできなかっただろう。それを使うと、ジプシーが暮らす狭い空間でも写真が撮れたし、大事なものとそうでないものと切り離すことや、暗い条件でも私がいつも狙っていた被写界深度の深い写真を撮ることもできた。」

1968年のプラハの春の現場にいたこの人は衝撃的なスクープ写真を撮る。プラハ侵攻の一周年に匿名で西側各国のメディアに掲載された。チェコスロバキアでは1990年まで発表されていない。身の危険を感じたこの人は1970年にイギリスに亡命する。その後、撮り続けたExilesシリーズを紹介した文章がある。「ノスタルジアや内省、疎外感に充ちており、切り離され、追放された立場にある自らの感情を吐露している」。1989年のビロード革命で旧体制が崩壊するまで、この人の流浪は続いた。この国は1993年の始めに2つの国に分かれた。「ビロード離婚」と呼ばれた。

この写真集では「ジプシー」という表現が使われている。岩波文庫で「カルメン」を読んだ時に英語のジプシーは差別的表現で「ロマ」という表現が適切であるという後書きを読んだ。露語では「ツィガン」、独語には「チゴイネル・ワイゼン」がある。仏では「ジタン」という煙草があった。この人々がユーラシア各地に分布することを示すものだ。欧州だけではない。中央アジアでもバルカンでもロシアでもこの人たちは生きている。


2014年10月4日土曜日

アンドレイ・クルコフ「ペンギンの憂鬱」

新潮社のクレストブックスには面白い作品が揃っている。キエフ育ちのロシア人作家アンドレイ・クルコフの「ペンギンの憂鬱」(NHK露語講座の沼野恭子訳)もその一つだ。主人公の売れないライターは訃報の準備原稿書きの仕事を通じて、いつの間にかやばい世界に関わってしまったことに気がつく。2008年5月のEBRDキエフ総会でこの作家に会っている。ルミエール総裁が社内報で紹介して以来、様々なEBRDイベントの人気ゲストだった。2001年に出版されたこの本の原題はロシア語の「局外者の死」からその後「氷上のピクニック」に変更されている。英訳は「死とペンギン」となっている。「大統領の最後の恋」(前田和泉訳)がやはりクレストブックスに入っている。

翻訳された沼野先生は「どことなく村上春樹の雰囲気に似ているような気がしてならなかった」と訳者あとがきに書いている。「羊をめぐる冒険」と「ペンギンの憂鬱」を比べれば共通点が多い。短い章立てで淡々と話が展開していく構成。羊とペンギンという動物の使い方。また動物としか深く交流できない主人公たちの疎外感。さらには全編を通じた死のイメージ。羊をめぐる冒険は友人が死ぬ前に用意した手紙が主人公に届いたところから北海道を舞台にした冒険が始まる。ペンギンの憂鬱では死んでいく者たちのために訃報原稿が予め用意されるところから物語が始まる。


米原万里さんは2004年12月にこの本について、「今何かと話題のウクライナにこんなに面白い小説を書く作家がいて、それを見事に日本語で楽しませてくれる優れた翻訳者がいることを教えてくれた」と書いた。この書評から10年経ち、ウクライナは再び世界の耳目を集めている。この作品が旧ソ連崩壊後10年を経た2001年に、ウクライナ在住のロシア人作家によって書かれ、西側世界にセンセーションを巻き起こしたのは「様々な事件が計画され、情報が加工される状態」が決して旧ソ連の専売特許などではなかったことを見事に描写したからだろう。そういうリトル・ソ連状態はかつての共産圏の大都市ほど顕著だったという見方ができる。かつてのモスクワにとっては拠点都市だったところではモスクワ中央からの支配の仕方も、そのメカニズムの構築も徹底していたからだ。モスクワ、サンクトペテルブルグに次いで3番目に大きかったのがキエフで、4番目に大きかったのがタシケントだ。2015年以降のウクライナの状況を眺める時にも参考になる本だ。


この本の沼野訳と、別の英訳本を比べてみた時に気が付いたことがある。沼野訳がとても丁寧で忠実な訳であるのに、英訳本はほとんど抄訳だったことだ。「ペンギンの憂鬱」が好きだったので、露語オリジナル版を入手した時に、学習用の読本として使ってみようと考えたことがある。その指導書としての訳本にどちらがふさわしいか選びたくて和訳と英訳を比較してみた。沼野訳から露語オリジナルへは逆翻訳が可能だと思われるのに、抄訳になっている英訳から露語オリジナルに逆翻訳で戻るのは不可能だ。必ずしも英語版の抄訳が悪いとは言えないだろうが、翻訳という作業の性質を考える時に参考になる。


マルグリット・デュラス 「愛人 ラマン」「北の愛人」

1984年にフランスの小説家マルグリット・デュラスが「愛人 ラマン」でゴンクール賞をもらうと、この本は世界的なベストセラーになった。この作家が70歳の時だ。東京で会社員をしていた頃に書店に並んでいたのを買った。本のカバーの少女の写真が気になったからだと思う。デュラス自身の若い頃の写真だ。仏植民地のインドシナ(ベトナム)で学校の先生をしていた父が死んで、3人の子供を抱えたデュラスの母は、残された資産を安定した不動産に替えようとしたが、ろくでもない物件をつかまされる。夕陽を浴びてテラスに座る母子たちの静かな滅びの物語だ。

1990年頃にこの物語の映画化が話し合われ、著者も当初は脚本への参加を考えたそうだが、映画監督と意見が合わず、映画製作からは手を引く。 この監督は作品そのものよりもデュラスの生き方に興味があったらしく、その人生まで含めた映画化を望む。これに対しデュラスは「ラマン」の著者として作品世界の忠実な映画化を望んだ。脚本作りに一度は参加したデュラスが原作を書き直してみたくなってできたのが「北の愛人」だ。独白体の「ラマン」とは異なり、三人称で語る小説になった。


2013年の暮にロンドンの本屋で光文社古典新訳文庫「アガタ/声」を買っておいたので、読んでみた。「アガタ」は1981年、著者67歳の時の作品だ。音楽とか声にこだわった作品なので、舞台で見たら良いのだろうが、仏語には縁がない。「ラマン」に出てくるショロンの富豪の息子にしても、「アガタ」に出てくる兄にしても頼りなくはかない。デュラスの小説に登場する男たちの存在感はいつも希薄だ。


モスクワの空港でチェーホフ「犬を連れた奥さん」のCDを見つけた

1904年の没後100年をとっくに過ぎても根強いファンを持つロシアの作家アントン・チェーホフは小説も戯曲も書いている。ビシュケクに住んだ頃からチェーホフという小説家・劇作家がロシア語圏のみならず、西側でも根強い人気を持っていることを知った。日本で「かもめ」、「桜の園」、「ワーニャ叔父さん」、「三姉妹」などの上演の話は聞いたことはあるが、小説が書評で話題になったのは見たことがなかった。チェーホフの小説を読んだのは仕事で旧ソ連圏の国に住むようになってからだ。太宰治とか伊藤整などの関係の本にチェーホフの名前が出てくるので漠然とした憧れの気持ちはあったと思う。

 出張の乗換便を待つモスクワで「犬を連れた奥さん」のCD本を見つけたのがきっかけで、文庫本で読んで見た。目からうろこだった。この4章構成の中編はとても面白い。主人公の独白の形を借りて繰り出されるチェーホフのかなり冷徹な人生観、中年男の倦怠、人生をどうしきり直すのかなどがとても率直に論じてある。この映画化もされた中編の主人公はちょい悪の優柔不断男である。彼の女性遍歴と愛の不在についての文章が面白い。


「これまで彼が出会った女性たちは彼をありのままに理解した例がない。彼女たちは彼を愛したつもりでいるが、それは現実の彼というわけではない。長い間そんな人に会いたいと願ってきた彼女たちの想像力がこしらえたイメージを愛しているだけだ。やがてそれが誤りであることに気が付く。それでも彼女たちは彼を愛するが、だれ一人現実の彼に満足したことがない。」人間関係についてのするめみたいにしぶい味の述懐がこの中編小説のあちこちに出てくる。

イヴリン・ウォー「回想のブライズヘッド」

英国の小説家イヴリン・ウォーは大学で歴史を学んだが、勉強には実が入らず画家になろうとして美術学校に入る。それもやめると各地を転々としたと評伝にある。この本はほぼ自身の経験をベースにしているらしい。1939年に軍に入隊し、1944年にユーゴ戦線で従軍中に負傷する。長期の傷病休暇をもらって書いたのがこの本。この人は1947年にアメリカを訪問すると翌年にはハリウッドの動物葬儀屋をテーマにした「The Loved One」を書いている。けっこう自然な人というか行き当たりばったりな人のようだ。

「回想のブライズヘッド」も自伝小説なのか、恋愛小説なのか、カトリックをめぐる宗教小説なのか漠然としている。構えの大きなゆったりした小説とも言える。岩波文庫の上巻には第一部が入っている。同じく絵の勉強をしたモームの「人間の絆」を思わせるような自伝風の作品だ。


下巻の第二部では激しい恋の物語が展開する。やがて第三部で主人公とヒロインが別れる物語は、カトリックの信仰がベースとなっている。グレアム・グリーンの「情事の終わり」と共通するものがある。次のような場面が印象的だった。


「あとになって彼女が語ったところでは、わたしのことを心に留めてはいたのだという。ちょうど、或る本を探すために書棚を眺めていて別の本に目をとめ、取り出して表題のページをちらりと見ると、「暇ができたらこれを読もう」とつぶやいたきり元の場所に戻して、またさっきの本を探しにかかる、そんなふうだったのだ。わたしの方では、彼女にもっと強い関心を抱いていた。」


「あなたもわたしもひとつの類型に過ぎず、時として二人を襲うこの悲しみは、それぞれが相手を通してその向こうにちらと見えていて、いつも一歩か二歩先に角を曲がってしまうその影を必死に追い求めているのに見つけることができない、その失望に根ざしているのではないのか」


「ひとつだけ、もうすこしでしかけていたことだけど、それだけは悪いわたしにもできないことなのよ。神を相手に、神と対抗できるほどの幸せを選ぶということ。」


イヴリン・ウォーの「The Loved One (「囁きの霊園」)」 が好き

英国の小説家イヴリン・ウォーの「The Loved One」は学生時代、由良君美先生の英語の授業のテキストだった。作家の小林信彦は週刊文春連載のエッセイ「本音を申せば」の中で、2013年に出た光文社古典新訳文庫の小林章夫訳「ご遺体」というタイトルへの疑問を提起している。2013年岩波文庫の中村健二・出淵博訳では「愛されたもの」(1969年版の改訳)、1970年の吉田誠一訳のタイトルは「囁きの霊園」(早川書房ブラックユーモア選集)、1978年の出口保夫訳では「華麗なる死者」(主婦の友社)と翻訳は様々だ。わたしの好みとしては「囁きの霊園」が気に入っている。

ロサンゼルスの動物葬儀屋で働くイギリス人の「おくりびと」の話なので「(神様や遺族に)愛された人」をどう訳すべきか?新訳を出した小林章夫氏は文庫の後書きで「故人を示す言葉なので、仏様というタイトルで訳されることもあるが、西洋世界でそれはいかがなものか」と苦心した様子を説明している。


英国で詩人としての将来を期待された主人公がハリウッドにやってくるが、生真面目なアメリカ娘が気になったり、ペットの葬儀屋の仕事が気に入ってみたりと何とも頼りない。誇り高い在ロサンゼルスの英国人たちは、新興国における自分たちのプライドを守るためにこのように変わった仕事をする輩には帰国の費用を出してでもいなくなってもらいたいとやきもきする。主人公も含めて登場する人物のすべてを揶揄している点ではブラックユーモアの作家として世に出たイヴリン・ウォーらしい作品だ。


この作家は代表作となった「回想のブライズヘッド」という長編を書いた時に、それまでの風刺とユーモアを愛した読者を失望させたそうだ。しみじみした味わいでとても好きな作品だ。「囁きの霊園」冒頭の場面で、ハリウッドの映画産業で長い時間を過ごした老人と若い主人公が酒を飲みながら沈む夕陽を眺めているテラスの場面が好きな読者にとっては「回想のブライズヘッド」はさほどの驚きではない。

グレアム・グリーン「情事の終わり」

この本を気にし始めたのは2008年頃だ。何度も映画化されていることに気がついて、きっと良い本なのだろうと思った。その後で読みかけては何度も途中で挫折して2013年に読み終えた。最初の部分が暗くて長いので、諦めてしまいやすい本だ。

主人公は作家である。数年前に夫のあるヒロインと密会を重ねていた。ある日、突然関係を打ち切られてのが心の傷になっている。その作家のところに、別れた女の夫がやってくる。「妻が浮気しているらしいが、どうしたらいいだろうか」と相談を持ちかけられる。主人公はようやく自分が捨てられた理由が明らかになったと思い、何だか夫のことも気の毒になって私立探偵役を引き受ける。


そうしてやがて予想もしなかった物語が展開する。ヒロインが彼を捨てたのはロンドンが第二次大戦で空襲を受けていた頃。爆弾が空から降ってくる時代に逢瀬を重ねていた二人。深窓の婦人の座を捨てて新しい出発を心に決めかけていたヒロインに何が起きたのか?捨てられた男と寝取られた男の奇妙な関係も興味深い。

ボリス・パステルナーク「ドクトル・ジバゴ」

ハリウッド版の映画「ドクトル・ジバゴ」を観てから気になっていたが、長い間原作を読む機会がなかった。江川卓訳の新潮文庫も絶版になっている。中古本をアマゾンで入手したので読んだ。若い頃に開高健を読んで漂流する魂に共鳴したことを思い出した。誰も現在の世界を生きている。それでも失われた世界が見えてしまうとすると困ったことになる。二つの世界の間で漂うのはそれほど楽ではない。そんな風な魂の在り方の問題だ。

原作者ボリス・パステルナークがノーベル文学賞に推薦された時に革命政権を批判する内容が旧ソ連で問題となり、受賞辞退に追い込まれた。同じ理由で西側はこの作品に興味を持ち、この本は各国でベストセラーとなった。1965年のデビッド・リーン監督のハリウッド映画もヒットした。サンクトペテルブルグでもロンドンの書店でもこの本はすぐに見つかる。東京で見つからないのはちょっと寂しいと思っていたら、未知谷出版から工藤正廣氏の新訳が2013年に出ているのを見つけた。早速買った。


旧ソ連が崩壊してからだいぶ時間の経った2005年になってロシアで、この物語はオールスターキャストでドラマ化され6枚のDVDになった。チョルパン・ハマートヴァがヒロインのラーラを演じた。この女優さんは「聾唖の国」などいくつも主演作があるが、このロシア版「ジバゴ」でとても魅力的なラーラを演じている。ロシア版の制作に気合いが入っているのは主人公のジバゴを演じたオレク・メンシコフ、敵役のオレク・ヤンコフスキーという豪華キャストでも明らかだ。この二人が主演しているロシア映画の名作は数多い。メンシコフ主演の「太陽に灼かれて」、「シベリアの理髪師」」、「東と西」、「State Adviser」、「パクロフスカヤ門」、「カフカスの虜」。ヤンコフスキーで「鏡」、「ノスタルジア」、「ここに来て 私を見て」などがある。


タシケントでご一緒だったK大使は現在は教壇で学生を指導しながら、活発な評論活動を展開されている。熊野洋というペンネームで旧ソ連崩壊後のロシアを舞台に「遥かなる大地」という大河小説を書いた人だ。沼野充義教授はこの本を「日本語で書かれた新しいドクトル・ジバゴ」と評している。ロシア語版のみならず、英語版も出版されている。

 

ヘルマン・ヘッセ「デミアン」

ヘルマン・ヘッセの「デミアン」(高橋健二訳)はこれまで何度か繰り返し読んでいる。様々な個人的な記憶が実は共有されたものかも知れず、空間を越え、時間も飛び越えて大きくつながっている可能性、探し求めること、夢を見続けることについての深い考察に満ちた本だ。この作家の「郷愁」とならんで強く印象に残っている。

今の時点で人間として存在している自分が鳥でも魚でもありえたのかもしれないことを、長い進化の歴史の中でとらえる見方が紹介されている。ある人に憧れ、また別の人にも心を奪われる自分の感受性についても解釈が提示されている。さまざまに違う形をとって自分の目の前に現れるものは、ある共通したものでつながっているのだろう。自分自身の内部にある「美しさの記憶」が様々な形をとって「現われる」だけのことなのだ。そうでなければ、自分の外側にあるものが、これほどまでに心をかき立てるはずがない。自分が追い求めるものを探すことは、自分の内側を深く、静かに探る旅にならざるを得ない。この本はそのようにして流離いながら生きた作家が、自分の生きてきた途について解釈してみせた本なのだと思う。

この本のはしがきに以下のような文章がある。

  • 「わたしはさがし求める者であった。いまでもそうである。しかし私はもはや星の上や書物の中をさがし求めはしない。わたしの血が体内を流れつつ語っているところの教えを、私は聞きはじめる。。。それは不合理と混乱、狂気と夢の味がする」
  • 「すべての人間の生活は、自己自身への道であり、一つの道の試みであり、一つのささやかな道の暗示である。どんな人もかつて完全に彼自身ではなかった。しかし、めいめい自分自身になろうとつとめている。ある人はもうろうと、ある人はより明るく。めいめい力に応じて。」

  • 「だれでも昔、自分の誕生ののこりかすを、原始状態の粘液と卵のからを最後まで背負っている」
  • 「われわれはたがいに理解することはできる。しかし、めいめいは自分自身しか解き明かすことができない。」

「カインのしるし」、「ベアトリーチェの祭壇」、「鳥は卵の中からぬけ出ようと戦う。卵は世界だ。生まれようと欲するものは、一つの世界を破壊しなければならない」などの神秘的で魅力に満ちた比喩が、あちこちにちりばめられた本だ。何度読み返しても飽きることがない。

京極純一「日本の政治」 文明の作法とは何か?

政治学者の京極純一先生が駒場での政治過程論の講義をまとめた「日本の政治」(1983年)という本がある。政治学の対象である世の中の仕組みを理解する前提として、人の心を理解するための参考文献がいくつも紹介されている。数ある日本人論を論じた本の中から一冊選ぶとしたらこの本だ。読み返すたびになるほどと思うことが多い。

「日本人の人間交際の世界は、相手方の属性に応じて、あるいは、相手方と自分との関係に応じて、四種類(身内、仲間のいる狭い世間、他人のいる広い世間、言語不通・文化断絶の異郷としての外国)に分類されている。」、「人間交際の制度を貫いて、一方で身内化、他方で他人化という二つの相反する方向が働いている」、「四民平等となり競争の戦場に「サムライもどき」として臨むことが多くの人々の「構え」であるべきとされてきた。」、「立身出世が門戸開放され、富貴権勢を手にすることが正統な制度となった」。オトナの日本人は「ウチとソト」、「タテマエとホンネ」、「義理と人情」など相反する行動基準を他者との関係において使い分けられることを文明の作法として求められる。「開放と排他」「拝外と排外」「我慢と突発」など相反するように見えるものは実は同一のプロセスの中で現れるものすぎない。目からうろこというのはこういう本のことだ。


数学者の藤原正彦が「管見妄語」というエッセイの中で、和辻哲郎が「日本人は忍従と突発的反抗という二つの性格を併せ持つ」と述べていたことについて自分の体験を交えて論じている。この和辻哲郎の指摘も京極先生流の「文明の作法」として説明できる。ユング心理学の基礎も、柳田国男の「明治大正史世相編」も、中根千枝の「タテ社会の人間関係」も、土井健郎の「甘えの構造」も、ベネディクトの「菊と刀」も、ベンダサンの「日本人とユダヤ人」も、佐藤忠男の「日本人の心情」も、山口昌男の「道化の民俗学」も、岸田秀の「ものぐさ精神分析」もこの授業で知った。世の中には面白い本がたくさんあるが、自分の好きな分野で一定の嗅覚が働くようになるまでは正しい道案内が不可欠だ。京極先生にはそういう意味で深い影響を受けた。


2014年10月3日金曜日

四方田犬彦 「先生とわたし」「再会と別離」

学生時代に英書講読の授業でお世話になった由良君美先生は1990年にご逝去された。映画評論・比較文学の四方田犬彦氏が書いた「先生とわたし」(2007年)という本を読んで複雑な気持ちになった。東大の英文学の教授であり、浪漫主義、幻想文学の博識で知られた由良先生の偉大さは新潟から出てきたばかりの大学一年生には想像もつかなかったが、雰囲気のある人だった。「世界のオカルト文学幻想文学・聡解説」などの著書がある。四方田氏の回想記を読むと、二人は師弟であった以上に響き合う友人同士だった感じがする。四方田氏は記憶を辿りつつ変容したものと不変なものの両方を淡々と描く。ほろ苦い。

四方田氏は2009年の「歳月の鉛」という本の中で、由良先生について再び回想している。「驚異的な授業だった。一年生のときにほとんどすべての授業に退屈しか感じず、ほとんど出席の意欲がわかなかったわたしは、初めて自分が真剣に向き合わなければならない知の饗宴がここに開示されていることを知った。」「わたしはこの悪魔的な師匠から受けた知的恩恵に報いるために「先生とわたし」という書物を著してその冥福を祈った。」晩年の由良先生が健康問題とアルコール依存で苦しみ、二人の関係にも影響を与えたらしいことが示されている。


四方田氏は2011年に石井睦美氏と共著で「再会と別離」という往復書簡の形の本を出している。わたしはこの本を読んで四方田氏のファンになった。この往復書簡の中には石井睦美氏による恩師中村真一郎の回想も出てくる。印象に残る本だ。


宮本輝「ひとたびはポプラに臥す」「草原の椅子」

宮本輝を最初に好きになったのは太宰治賞を取り、映画化もされた処女作「泥の河」(1977年)だ。その後も「錦繍」(1982年)など印象に残る作品を読んだ。この人の作品を集中的に読むようになったのは「ひとたびはポプラに臥す」というシルクロード紀行を読んだのがきっかけだ。1997年から2000年にかけて全6巻が完結した長編だ。「月光の東」(1998年)にも中央アジアにからんだ話が出てくる。この作家はやはり中央アジアにこだわった井上靖と親交があったようだ。「月光の東」を読んでから、ロンドンの書店で「草原の椅子」(1999年)を取り寄せてもらっている間に、「愉楽の園」(1989年)、「睡蓮の長いまどろみ」(2000年)を読んだ。この人には「泥の河」など初期作品以外にもいくつもの傑作があることにようやく気がついた。

「愉楽の園」はバンコックを舞台にした物語だ。この中に「セイロンで爆弾テロがあったそうです」というニュースが出て来る場面がある。スリランカの首都コロンボで爆弾テロがあり100人以上が死傷したのは1987年4月のことだ。この物語は1986年から2年にわたり文芸春秋に連載された。1985年から2年間、コロンボ大でシステムエンジニア隊員として働いていたつれあいを訪れたのは1987年の5月だ。それからスリランカ、インド、ネパールと回ったのが生まれて初めての途上国体験となった。長らく駐在生活を送った中央アジアがらみで見つけた本が、現在の海外生活の原点であるスリランカにつながったことで不思議な気がした。

1997年のシルクロードの旅以降の宮本作品の中でも「草原の椅子」は読み応えがある。「遠間憲太郎が、突然、老人に話しかけられたのは、夕日がラカポシの頂きのうしろに隠れ、フンザの村の家々に明かりがつきはじめ、星が姿をあらわした時刻だった。」カラコルム渓谷の中に位置するフンザの追憶から始まり、再訪の旅で終わるこの本を読んで行ってみたくなった。主人公の遠間がフンザを再訪する直前に瀬戸内の海を眺めながら携帯でヒロインに電話する場面がある。浜辺に寝ころんで母の思い出につながる詩を諳んじる場面がいい。中原中也の「湖上」という詩の前半が引用してある。佐藤浩市主演の映画もすばらしい。娘役を黒木華が演じている。


宮本輝は自伝的な大河小説「流転の海」を1984年に書き始めた。この本は30年経った現在、第7部まできている。昭和の時代を描いた傑作だ。「泥の川」「蛍河」「道頓堀川」など初期の傑作の世界が変奏された形で出てくる。まだまだ書き続けてほしいと思う。楽しみだ。



喪失と再生の物語

大切なものを喪失し、嘆き悲しんだ後で時間や世界を超えて再会する物語は、ギリシャ神話のオルフェウスの物語にも、日本神話のイザナギ・イザナミの物語にも共通している。NHKでドラマ化されたラフカディオ・ハーンの物語の中でニューオリンズで記者をしていた時代の日本の文化との出会いが描かれている。ハーン先生は博覧会のために訪米していた日本の外交官たちから古事記の物語を教えてもらうことになる。自分の出自であるギリシャの物語との共通点を見出したことが日本に対する興味を深めるきっかけとなる場面が印象的だった。

村上春樹も「風の歌を聴け」以来常にこの主題を変奏してきた。「ノルウェイの森」は村上版のオルフェウスの物語だが説明が克明すぎて辛いものがある。「国境の南、太陽の西」のほうが失われた島本さんとめぐり合い、かつての無意識的な喪失をより自覚的に再体験する点ではよりオルフェウス物語に近い。「国境の南、太陽の西」に熱中していた時期があった。その頃、ロンドンで職場の同僚の英人女性に「ハルキムラカミ」に興味があるが、どれが面白いだろうか?と聞かれてこの本を勧めた。しばらくして会った時に彼女のコメントは「bizarreな本ね」だった。確かに風変りな本だろう。

ほとんど同じ印象を持つのが柴田翔「贈る言葉」だ。この作品では恋人は死なないが喪失感の強さは同様だ。学生時代の恋人が商社マンの妻として外地へ旅立つという報せを聞いた主人公が、心の中で再びその人を喪うのは切ないものがある。

人の生き死にを含めて何かを喪うということは起きる。その喪失の突然さとそこに立ち会った自身の無力さを思い返して「それは喪失されるべきものではなかった」「もう一度やり直したい」と考える。そう思ったところで喪われたものは戻りはしない。高揚と幻覚を味わった後で再び喪失することになるとしたら、その喪失感は深くなりそうだ。

車谷長吉「赤目四十八瀧心中未遂」

車谷長吉の直木賞受賞作「赤目四十八瀧心中未遂」を読んだ時にはびっくりした。鬼気迫る本だった。主人公は作家になりたくて、東京のサラリーマン生活を投げ捨てる。ほめてくれる雑誌編集者もいたので何とかなると思っていたのが、実際に作家志望専業になった途端に生活に困ってしまう。母親も息子に愛想を尽かす。「他人様は上手いことを言うだろうよ。お前に小説が書けようが書けまいが他人事だから。お前が野たれ死にしようがしまいがどうだっていいさ。それを真に受けてどうする。」  この辺りの苦しい記憶が繰り返し登場する初期の短編集はどれも読みごたえがある。

この小説の主人公は、仕事を転々として、やがて大阪尼ヶ崎のアパートの一室でひたすらモツ肉の串を刺し続けることになる。この本を読んだ時は、わたしも日本の会社員生活に区切りをつけて海外で仕事をするようになってから8年目だった。異国の言葉を話す人たちに囲まれながら、朝から晩までコンピュータの前に座ってプロジェクトの報告をまとめる作業に追われるように暮らしていた。同じような「異域」に住む主人公に感情移入した。


都市に埋没して生きる疎外感と、あてのない漂流感覚を描いたこの本は傑作だ。偶然のように怪しげな場所に居つくようになること、それまでの葛藤から解放されてその場所の居心地がいいこと、不思議な魅力の女が登場してくることの3点で「砂の女」を連想させるが、「赤目四十瀧心中未遂」を際立たせているのはその緊迫した情念の強さだ。直木賞を受賞したこの本は話題となり、映画化されて主演女優寺島しのぶの出世作となった。車谷長吉はその後も「忌中」、「妖談」など不思議な迫力に満ちた小説を書き続けた。


大江健三郎「個人的な体験」

ノーベル文学賞の大江健三郎を好きだの嫌いだのいうのは照れくさい感じもするが、この人が「芽むしり、仔撃ち」、「奇妙な仕事」などで学生作家としてデビューし、その後次々と実験的な小説を発表していった頃の作品はとても過激なものだった。「われらの時代」、「性的人間」、「遅れて来た青年」など圧倒されたが、そこからどこへ向かうのだろうかという危なっかしい感じが強かった。

この作家は障害のある子供が生まれた前後の経験を「個人的な体験」という小説にする。本当に圧倒的な本だった。これを一つの転換点としてこの人の作風は変わる。「雨の木を聴く女たち」、「僕が本当に若かった頃」など静かな祈りをこめたとても力強い作品が年を経るごとに書かれていった。こういう作家の作品を初期から現在まで同時代の一人として体験できたことをとてもありがたく思う。



高橋たか子「記憶の冥さ」

高橋たか子が泉鏡花賞の「誘惑者」「ロンリーウーマン」で注目されたのは大学生の頃だ。生協の書籍部に平積みしてある本の装丁が気になったので買ってみた。「ロンリーウーマン」に続いて「記憶の冥さ」を読んで不思議な世界に住んでいる人らしいと思った。「理科の実験に使う、連通管というガラス器具がある。試験管が何本も立っていて、それぞれが底でつながっている形のものである。本当に人が他人をわかるのは、この底でつながっているところまで降りていった時だけかもしれない。試験管の一本一本はそれぞれの人の自分自身である。」とても印象に残っているエッセイ集だ。

この人が夫であった作家の死後に発表した「高橋和己の思い出」にはびっくりした。この人は夫であった作家のことを「自閉症の狂人、弱い人、哀しい人」と分類して、自分はこの作家の清書をする秘書であり保護者だったが、自分の病的な感覚を認めて作家になれると励ましてくれたのも夫だったと書いている。


高橋和己の「邪宗門」が朝日ジャーナルに連載中の昭和40年に夫の取材旅行に同行して奈良の少年刑務所を訪問したら、女性は中に入れてもらえず正門の守衛室で待つことになった。この時に昭和初期に女学生の間で三原山で自殺することが流行したことを雑誌で読んだのが「誘惑者」を書くきっかけになったそうだ。


伊藤整「若い詩人の肖像」

1955年(昭和30年)11月発行の中央公論創立70周年記念号が本棚にある。鎌倉の父の本棚にあったのを譲り受けたものだ。わたしが生まれる一年前の雑誌なので面白い。伊藤整の「若い詩人の肖像」の連載第三回が載っている。連載後まとめられた作品の第六章にあたる。昔は新潮文庫で読んだが、今は活字の大きくなった講談社文芸文庫で読める。第一章「海の見える町」の一部が高校の現代国語の教科書に載っていたので懐かしい。高校生の頃に詩に興味を持つようになったきっかけとなった本だ。

北海道小樽市の塩谷村に生まれた伊藤整は小樽高等商業時代から萩原朔太郎に傾倒し、詩人としての自分のことを意識している。「若い詩人の肖像」の第一章「海の見える町」の中で朔太郎の「題のない歌」を全文引用し、「白日夢のような奇妙な空しい実在感を、日本の詩で誰も描いたことがないほど明晰に、しかも読むもののこころに抵抗しがたく入るように書いた詩であった」と激賞している。伊藤整が文学に傾倒していく過程で旧制小樽中学、小樽高商と同窓の小林多喜二を意識し続けたことも大きかったことがこの本から明らかだ。


小樽高商を卒業してからは、地元の中学校で英語教師をする。夜間のアルバイトをしたり、宿直を続けたりして、東京へ出るための資金をせっせと貯めている。やがて東京の文壇に接近し、切磋琢磨するための方法として東京商科大学(一橋大学)に進学することを決意する。実に用意周到に準備を重ねる様子が印象的だ。この本は著者が最初の詩集「雪明りの路」を自費出版する前後の様々な交友と文学修業の記録である。人並み外れた感受性と観察眼をあわせ持つ文芸評論家による自己と出会った人々についての観察記録なので、とても面白い。


この本には詩集「雪明りの路」やその後の小説にちりばめてある若い日の恋や憧れが記憶されたエピソードとして出てくる。伊藤整は詩人から出発して、翻訳家、小説家を経て日本を代表する文芸評論家になった。この人は1905年(明治38年)生まれなので、この本は著者が50歳になった頃に自らの青春時代を回顧していた本である。記憶をたぐり寄せる作業というのは、その過程で自分なりの解釈が入るのは当然だ。桶谷秀昭による評伝「伊藤整」によれば、余市の恋人として登場してくる女性のモデルになった人は事実と違うとかなり憤慨したらしい。