2015年4月7日火曜日

沢木耕太郎 「世界は「使われなかった人生」であふれてる」

この映画についてのエッセイ集は幻冬舎文庫に入っている。この本は暮らしの手帳社から2001年に刊行された。ここに登場する映画は80年代の作品が多い。沢木耕太郎は1947年生まれなので、この人が50歳を越えた頃に自分の思い出に残る作品について自由に思い浮かぶことを書いたエッセイ集だ。映画がたくさんある中で確実に面白い映画にたどり着く方法としては、自分と波長の合う「映画好きな人」を見つけて、その人の勧める作品を観てみることが一番の早道だろう。この文庫本は日本に帰った時に「沢木耕太郎の映画評」を検索して見つけた。

この人に興味をもつきっかけとなったのは2013年の末に日本で公開された「鑑定士と顔のない依頼人」(ジュゼッペ・トルナトーレ監督)というイタリア映画だ。沢木耕太郎がこの作品について書いた文章を読んで感心してしまった。「今年の一作」として絶賛したこの映画を「2度観ると味わいが変わる映画」と書いている。すぐにアマゾンで注文した。最高に面白い映画だった。最後のどんでん返しが強烈だ。結末を知った後で始めからもう一度観たくなる。この主人公に起きたことが果たして幸なのか、不幸なのか2度か3度観て考えたくなるかも知れない。

このエッセイ集が変わっているのは、目次に映画の題名が出てこないことだ。32編の文章にはそれぞれ小見出しのようなタイトルがついている。沢木耕太郎はあとがきで書いている。「この「映画評」が批評でないのは無論のこと、もしかしたら感想文ですらないのかもしれない。わたしにとってこの一連の文章を書く作業は。心地よい眠りのあとで楽しかった夢を反芻するようなものだった。。。ともあれ、大事なことはその「夢」の面白さが読み手にうまく伝わることである。」 それで自分がよく知っていて、こだわりを持っているいくつかの作品について沢木耕太郎の文章を読んでみた。


冒頭の「世界は「使われなかった人生」であふれてる」に出てくるのがルイス・ギルバート監督の「旅する女 シャーリー・バレンタイン」(1989年、英・米合作映画)。これは良い映画だ。3編目の「薄暮の虚無」はアン・タイラーの原作で、ローレンス・カスダン監督の「偶然の旅行者」(1988年、米国)。それぞれ人気が出始めた頃のウィリアム・ハートとジーナ・デイビスの魅力が光る作品だ。4編目の「にもかかわらず、よし」がラッセ・ハルストレム監督の出世作「マイ・ライフ・アズ・ア・ドッグ」(1985年、スエーデン)。これは文句なしの傑作だ。この3編を読むだけでも、この文庫本を買う価値はありそうだ。この後の部分では良く知られている作品と、聞いたことのない玄人好みの作品が登場するが、この人のエッセイを読むとどれも観てみたくなる。






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