2015年2月13日金曜日

池澤夏樹 「母なる自然のおっぱい」は面白い

桃太郎伝説について、池澤夏樹の書いたエッセイが話題になっていたので日本から送ってもらって読んだ。1992年に書かれたこの本は1995年に新潮文庫に入っている。このエッセイ集の3本目「狩猟民の心」の中で著者は狩猟民としてのアイヌに共感している。対抗するものとしての農耕民の「日本民族」の攻撃性と貪欲に警鐘を鳴らした文明批評だ。

池澤夏樹は文庫版の後書きで、「百年前に福沢諭吉がまったく同じことを書いていた」ことに気がついたとして、福沢の「ひ々のおしへ」の原文を紹介している。福沢の指摘はもしも鬼が悪いものであるならば、それを懲らしめるのは良いことだが、鬼が所有していた宝物を家に持ち帰ったことを批判し、「ただよくのためのしごとにて、ひれつせんばんなり」と結んでいる。著者はさらに「せっかく諭吉さんがこう言ってくれたのに、その後の日本はひたすら桃太郎化していった。」と書いた。

桃太郎伝説に違和感を持った人というのは、一人や二人ではなさそうだ。ウエブの無料図書館「青空文庫」で芥川龍之介も「桃太郎」という小品を書いているのを見つけた。これを読むとやはり「英雄としての桃太郎」はかなり困った人だった可能性がある。文豪芥川の桃太郎批判はとても辛辣だ。「お前たちも悪戯すると、人間の島へやってしまうよ」「嘘はいうし、欲は深いし、焼餅は焼くし、己惚れは強いし、仲間同士殺し合うし、火はつけるし、泥棒はするし、手のつけようのない毛だものなんだよ」。芥川もかなり機嫌の悪い時に書いたのだろう。学校で先生が子供に教える教材としては微妙すぎるかも知れない。

このエッセイ集の中には他にも面白い文明批評が入っている。冒頭の「ぼくらの中の動物たち」も面白い。アイヌの人々がヒグマを殺してから、祀る風習について「ヒグマの肉はそういう形をとった神からの贈り物であり、人はクマを正しく殺して祀ることで神の魂を再びその故郷に帰らせてやる。」という記述がある。カナダ・インディアンとトナカイについても「正しい殺され方で死んだ場合にはトナカイが人を恨むことはない」と書いている。このエッセイを読んで、内田樹の村上春樹論を思い出した。内田樹は「羊をめぐる冒険」と韓流ドラマ「冬のソナタ」との共通性に注目し、きちんとした儀礼をしてもらえない死者たちが、現世に迷い出るのがこれらの物語の共通点であるとしている。生きている者たちと迷い出た死者たちとの関わりについての物語は世界中に存在する。村上春樹はそういう伝統的な物語のパターンを繰り返すことで、世界中で共感される作家になったという説明はわかり易い。

この本に収められている「再び出発する者」というエッセイは珠玉の「植村直己論」である。「彼の失踪をめぐって、また彼の人生の評価をめぐって行われた論議の大半はまるっきり無意味なものだった。彼が成し遂げたこと、彼の人生の意味は、最終的には彼自身の内部にある尺度によってしか計れないものであったはずで、それを他人の視点や社会の尺度で律するのは見当ちがいというものだ。」 もっともな指摘だ。最近の人質にされたジャーナリストのニュースでも、事件の当事者の行動について自分の価値観を「正論」として押し付ける評論ばかりだった。「わからないもの」はわからないままにしておくべきだ。

とても面白いエッセイ集だ。この本のユニークな題名について、著者はインパクトのあるものを探している時に「母なる自然」をまず思いつき、それから詩人伊藤比呂美の「良いおっぱい、悪いおっぱい」の書名に影響を受けたと文庫版の後書きに説明がある。

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