2015年2月24日火曜日

開高健「花終る闇」 「馬馬虎虎」の世界

開高健の「花終る闇」は傑作「闇シリーズ三部作」の最後を飾るものだが、未完の作品だ。「輝ける闇」のベトナム体験、「夏の闇」の精神的な墜落体験の後で、死期をぼんやりと感じ始めた小説家がシリーズの完結をめざして、気力を振り絞って取り組んだ作品と思われる。この小説は「漂えど沈まず。」で始まる。この言葉は茅ヶ崎にある開高記念館に石碑になっている。小説家は流浪の途上で出会った女性たちを回顧する形で、走馬燈のように自分の生きてきた時間を振り返る。絶筆となった「珠玉」とほとんどパラレルな感じがする作品だ。「メイキング・オブ・珠玉」という見方もできそうだ。

この本の中に女性と主人公が「どうなの、近頃」、「マーマーフーフー」、「何、それ」、「漢字で書くと馬馬虎虎。昔の中国人の挨拶だそうだよ。。。馬のようにも見えるし、虎のようにも見えるってこと。日本式でいうと、ボチボチってところか。曖昧語法というやつだが、なかなかいい表現だよ。」と語り合う場面がある。これは越後弁の挨拶の「なじらね」(ご機嫌いかが)「なじょうも、なじょうも」(何ということもなくての)の世界そのままだ。


世界を旅した開高健が新潟県の銀山湖を愛し、新潟の酒を愛したのはよく知られている。開高健が新潟に通ったのは、魚や酒以上にどこか共感するものがあったのだと思う。雪国の人々は冬の寒さの中で口をはっきり開けないで言葉を交換する。口数や語彙を減らして、目で語り、身体表現で語る世界であり、西側の言語で明晰さが尊ばれるのとは大きく異なる世界だ。開高健は茅ヶ崎の書斎で深夜まで文章を練っていると、目の前に見える漢字がただの形に見えてきて、意味をなさなくなる経験をしたことをエッセイに書いている。頭の中に思い浮ぶ概念を言葉で表現しようと呻吟するのだが、原稿用紙の上に書いてみた言葉が正しい選択であるのか考え続けたようだ。きりのない作業に疲れると酒を飲み、さらに行き詰まると銀山湖へ釣りに出かけ、それでも煮詰まると世界を旅する。彼にとっての新潟は、言葉で表現されない言葉を探す旅の出発点だったのかも知れないと思う。

1 件のコメント:

  1. 新潟の言葉使い漢字の繰り返しや銀山湖そして旅に出る開高健さん、精いっぱいに生きてた姿を初めて知りました。

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