2015年10月7日水曜日

中原清一郎 「カノン」

帰省していた時に何気なくブックオフを覗いていてこの本を見つけた。本の帯に「「北帰行」から37年 - 外岡秀俊が沈黙を破る」とあったので思わず買ってしまった。小林旭が歌った「北帰行」という歌があるが、外岡氏の処女作は北海道出身の学生だった著者が在学中に書いて文藝賞をもらったので当時話題になった本だ。1976年のことだからわたしは大学2年生だった。この人は翌年には新聞社に就職してしまい、小説家としての活動は長らく休止していた。新聞記者としては出世したらしい。退職後もジャーナリストとして福島原発の事故のレポートなどを書いていたのを読んだことがある。その人が沈黙を破って小説を書いたとなれば読まずにはいられない。

心の本体としての人間の記憶と、その容器としての肉体の分離をテーマにした小説だ。記憶を失う難病にかかった若い母親と、脳はしっかりしているが末期がんで死んでいく58歳の男がいる。このままでは二人とも死んでしまうだけだ。それぞれの健康な部分を足し合わせて新しい人間を作った場合に何が起きるだろうかという筋書きは面白いのだが、それだけだと370頁は長い感じがした。記憶を司る海馬の移植手術という題材を使ってはいるが医療ドラマという訳でもない。物語の中心になるのは死を宣告されていた58歳の男が、突然現代医学の恩恵により海馬の移植手術を受けて、若い女性の肉体の中に生まれ変わる話と言った方がわかりやすい。男性から女性への、初老からまだ若い人への移行に伴うアイデンティティの混乱を描いている部分は面白い。

海馬移植手術の当事者である二人の他にも、アルツハイマーが始まっている女性の母親などを登場させ、老いていく肉体にとって、消えてゆきつつある若い日の恋の記憶がどういう意味をもつのかを書いている部分も面白い。この本は著者自身の介護経験からヒントを得て書かれた作品ということだが、いくつも挿入されている記憶をめぐる話は著者自身のものだろうかと思わせる。沼野充義氏が中日新聞の書評で「稀有の小説」と絶賛していたそうだ。二人の人間の間で記憶が交換されるというしかけについては、話がやや冗長になった気がするが、薄らいでいく記憶、朽ちていく記憶に対する深い想いを書いている点でしみじみした読後感が残る。

この本を読んでしばらくしてからとても興味深いTV番組を観た。心臓移植を経験した人たちの性格や嗜好が変わったり、心臓提供者の好きな音楽の記憶が心臓を提供された人に伝わったりした例がいくつも紹介されていた。現時点では医学界の多数説になるには至っていないそうだが、記憶を司る神経が脳の海馬にだけ存在するのではなく、心臓の周りにも存在するという学説が紹介されていた。心臓にも記憶を司る神経があるとすれば「カノン」の物語はすっきりする。移植後、人格が完全に変わるのではなく、身体の中にも人格・記憶を司るものが存在しているので、移植後はまず2つの人格の併存状態となり、その後に融合してひとつの新しい人格が形成されるか、あるいはそれに失敗した場合は拒否反応が起きて移植失敗につながることになるというのが「カノン」の仮説だった。なるほどと納得。

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