2018年1月12日金曜日

向田邦子「手袋をさがす」

年の瀬の夕方に真名瀬まで出かけた。葉山の漁港だが鎌倉からは車ですぐなので時折り出かけている。12月から2月頃までお天気が良くて風が収まった日には空気が澄んでいる。稲村ケ崎と並ぶ富士山撮りの名所だ。浜辺で撮影しているのは1時間足らずだが、防寒用の衣類を着こみ、ほかほかカイロを懐中に入れても芯まで冷えてくる。この時期の日の入りは4時半過ぎで、車で家路に向かうのは6時少し前だが真っ暗だ。凍えている手でハンドルを握りながらFMラジオを聴いていた。静かな声で「手袋をさがす」という随筆の朗読だった。オリジナルの文章を探してみると講談社文庫の向田邦子「夜中の薔薇」というエッセイ集の中に収録されている。1981年に51歳で飛行機事故で亡くなられた向田さんが、ご逝去の年の5年前に書いた文章だ。アマゾンで取り寄せて読んでみた。

学校を卒業したばかりの向田さんは初めての職場で「ただ漠然と、今のままではいやだ、何かしっくりしない」と感じて腹を立てていた。物の乏しい時代の冬は厳しかったそうだが、向田さんは、どんなに寒い日が続いても、気に入るのが見つからずに手袋無しですましていた。ある日残業をしていると、目をかけてくれた上司が「ひょっとしたら手袋だけの問題ではないのかも知れないねえ」とやんわり意見してくれた。そんなことをしていたら風邪をひいてしまうよという指摘は、そんな生き方をしていたら後悔するよという趣旨のお説教だったらしい。ここまでは職場のお節介オジサンが登場する普通の話だが、向田さんはその帰路に四谷から渋谷まで、寒空の下を歩き通して結論を出してしまう。翌日から求人欄の仕事探しを始め、その後仕事を転々としながら文筆で生計を立てるにいたる。

同じような気持ちで転職をし、それを繰り返した人がすべて成功したはずもない。若い頃を振り返った結果ありきのエピソードと割り引く必要もありそうだが、たまたま凍えた夜にFM放送で流れてきた物語だったのでしみじみと感じ入った。凍てつく寒さと題名から愛知県半田市出身の新見南吉が書いた「手袋を買いに」という童話を連想した。

「母ちゃん、お星さまは、あんな低いところにも落ちてるのねえ」とききました。
「あれはお星さまじゃないのよ」と言って、その時母さん狐の足はすくんでしまいました。「あれは町の灯なんだよ」

雪が降った山で、寒さに凍える子ぎつねの手を温めたいと願うことは親子に共通だ。母ぎつねにとって人間の住む町は怖ろしいところで、子ぎつねにとってはキラキラした星々が低く輝いている場所だ。町に降りたきつねは殺されてしまうこともあるだろうし、物語の世界で人の心に生き続けることもあるかも知れない。人生いろいろだ。何が正解で、何が失敗かなんて誰にも分らないことが多い。向田さんのドラマシリーズは大好きでDVDも持っている。もう読んだような気がしてしまい、これまで文章で読んだことがなかった。きちんと読んでみたくなった。

 

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