2016年1月5日火曜日

マリオ・バルガス・リョサ 「悪い娘の悪戯」

マリオ・バルガス・リョサ「悪い娘の悪戯」(八重樫克彦・八重樫由貴子訳)の表紙絵がすごい。この本の帯には「ノーベル文学賞作家が描き出す壮大な恋愛小説」とある。普通だったらなんて悪趣味なタイトルかと思って敬遠してしまうところだ。グレアム・グリーン「情事の終わり」についても同じことが言える。もう少し抒情的なタイトルにしてくれないと買うのも、電車で読むのにも困るが、両方とも読み応えのある本だ。

気の良い主人公が小悪魔のような娘にこれでもか、これでもかとひどい目にあう。それでも魅かれる感情を制御できない。このヒロインは本当に性悪だ。ところがこの主人公は心のどこかでこの悪の女王様を崇拝している。主人公にとってこのヒロインはもはや当たり前の人間存在ではない。神に近いものだ。この荒ぶる神は時々途方もない荒れ方をする。それは津波のようなものであり、噴火のようなものだ。人智を超えた世界だから善悪の彼岸にある。この類のヒロイン像はどこかで読んだことがある。モームの「人間の絆」の世界ではないか。イギリスの作家とペルーの作家がおそらく若い頃に同じように痛い思いをして、同じような構造の本を書いている。


この本の表紙になっているのは「ユリシーズに杯を差し出すキルケ」という題の絵だ。この本の裏表紙には「嫉妬に燃えるキルケ」という意味あり気な絵が使われている。どちらも英国のラファエロ前派の画家 J.W.ウォーターハウスの作品だ。とてもしゃれた選択だ。この本は「運命の女 ファム・ファタール」の物語であり、とてつもない美しさと、男の心を踏みにじる残忍さと、男が逃げていくことは許さない独占欲の強さにおいてまさに人間の領域を越えた美女の物語だ。キルケという妖精に魅入られた男たちは様々な動物に変身させられてしまう。英雄ユリシーズはこの妖精の術にはまることなく豚になった仲間たちを救い出す。魔女により変身させられてしまう物語はいろいろあるが、美女の誘惑と異形のものと化して側近となる男たちについては日本にも泉鏡花の「高野聖」がある。


ユリシーズというのはローマ神話の英雄でギリシャ神話のオデュッセウスのラテン語名が英語化したものだ。中学校の英語の教科書にオデゥッセウスが妖精カリプソに別れを告げる場面が出てきた。この二枚目の英雄はやたら美女に気に入られて引き止められが、そのうち別れの時が来る。ウォーターハウスは古代の神話や伝説をテーマにした絵をたくさん描いた画家だ。ロンドンに赴任したばかりの頃に「エコーとナルシス」のレプリカを買った。あちこちの国を転々としたが、今でも部屋に飾ってある。


0 件のコメント:

コメントを投稿