2016年1月5日火曜日

小川未明 「牛女」 生者と死者の境界の話

海と夕陽の写真から「黄昏時は生者と死者を隔てる境が曖昧になる時間だ」という話になった。 彼岸の世界にいるのは恐ろしいものばかりではない。会いたい人もいる。「赤い蝋燭と人魚」を書いた小川未明は新潟県上越市の出身だ。「牛女」という童話がある。気立てが良くて働き者の大柄な女の人がいた。耳が不自由だったことと、大柄なのを気にして、背を丸めるようにしていたのか「牛女」とよばれていたという物語である。この人にやがて男の子が生まれる。可哀そうなことに牛女は小さな子供を残して死んでしまう。医学も薬もまだ発達していなかった時代の話だ。夕暮れ時になると牛女の姿が光の具合で山に写るようになる。人々は牛女が子供のことを見守っているのだと言い、男の子は無事に大きくなる。牛臥山とか牛伏山という地名がいくつかあるから、どこの田舎にでもありそうな話だ。

男の子は成長すると故郷を離れて商人となり、成功して故郷に戻り、リンゴ栽培を始めた。ところが何年もうまくいかない。花が咲き、実が生り、いざ収穫の時期が近ついた頃になると害虫が大量に発生してリンゴは全滅してしまう。人々は今は成長したこの男に尋ねる。「何か供養すべき人で忘れているというようなことはないか?」。男はそれまで頼る人もなく生きてきて、死別した母のことを忘れていたことに気がつき、母にわびる。その年の秋もリンゴの実がなると害虫がやってきたが、その年は牛女の姿が映る山の方角から蝙蝠の群れが飛んできてリンゴの害虫を食べてしまう。死別した母の魂と子どもの再会の物語である。


青森県が舞台の映画「奇跡のリンゴ」を観ていて、小川未明の「牛女」の話を思い出していた。リンゴの原産地はコーカサスの辺りから中央アジアの天山山脈の辺りらしい。平安時代に中国から日本に伝わり、明治時代になって盛んに栽培されるようになったそうだ。青森県で全国の半分くらいを生産している。この映画では無農薬栽培を試みてなんども害虫対策に苦しんだリンゴ農家の苦労が描かれている。リンゴの害虫とその天敵のバランスのとれた環境作りに成功する場面が「牛女」に描かれている場面によく似ているのが印象的だった。


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